初めて書き込みます。
霊ではないけれど、人の色の話です。
小学生のとき、人に
「縁取り(ふちどり)」
があった。
今思えばオーラと呼ばれるものなんだろうけど、小さかった私は
「ああ今日校長先生赤だ、怒ってるのかなあ」
とか、
「おばあちゃんは今日も黄色だから元気」
などなど、言葉にもならないくらいの熱量で感じていた。
「縁取り」
と表現したのはその人特有の色があるからで、先述した校長先生は緑と薄い黄色だった。
その外側に、モヤっと他の色が覆い被さってるときがある。
それが赤だったり黄色だったりしたんだ。
ちなみに大人になった今も、視覚的に見えはしないけど色は分かる。
分かるといっても、その色がなにを意味するかは知らないので意味はないんだけど。
たまーに酔って、人にこの話をすることがある。
相手は大体
「自分は何色か」
と熱心に聞くので、
「水色と黄色がちょうどいい塩梅に交差してて綺麗」
などと答える。
今までで3人、
「占い行った時同じこと言われた」
など、私以外の人からも同じ色だと言われた人がいた。
私はそれを聞くと、謎に
「私以外にもこの人が◯◯色だと思ってる人がいるんだ」
と嬉しくなる。笑
で、小学生の時の話に戻るのだけど。
算数の先生で、木崎先生というおばちゃんの先生がいた(仮名)。
その人は強めのサバサバした口調とは裏腹に、緑の水彩絵の具を極限まで薄めたような淡いけど綺麗な緑色&ところどころ紫があって、私にとって心地良い色だった。
木崎先生の色は、うるさい生徒を叱ってる時も全然変わらなくて、今思えば人格者だったんだと思う。
そんな木崎先生が、ある日真っ黒になってた。
教室のドアが開いた瞬間、黒い煙が入ってきたんだと思って一瞬ビクッとした。
けどそれは、あの綺麗で淡い色を纏っているはずの、木崎先生だった。
真っ黒な縁取りに呆気に取られたあと、顔を見てみるといつもより顔色が悪い。
けれど誰もそれを指摘しなかった。
ちなみにその時、
「今日木崎先生黒くない?」
と隣の席の子に言おうとして、それが変なことだと初めて気付いた。
もちろんその日の授業は集中できず、しかし小学生だからなのか私がADHDだからなのか、下校する時にはもうそんなことは忘れていだと思う。
で、次の算数の授業の日。
担任の先生から、
「木崎先生は病気で入院した」
と聞いた。
その後一度も木崎先生は学校に来なかったので、多分重い病気だったんだと思う。
それを聞いた時私は、
「ああ、だから黒かったんだ」
と妙に納得したのを覚えている。
それから、いつの間にか色は見えなくなってしまったけど、
「黒は悪い色」
という感覚だけは強く残っている。
5年ほど前叔父が肺癌で亡くなったんだけど、亡くなる3ヶ月前くらいに会った時も黒かった。
木崎先生ほど黒くはなくて、ちょっと灰色がかってたけど。
という体験談でした。
長文すみません。
読んでくださった方ありがとうございます。
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