長くなります。
今現在、40代前半で妻子持ち。
結婚する前に仕事が嫌になり楽な仕事をしようとしてタクシー運転手になった。
全然楽ではなかった。
今は違う仕事してるけど。
なのでニ種免許持ち。
でもまたいつかタクシー運転手にも仕事復帰できる様に普段から安全運転、車の整備はしっかりして事故がない様に心がけている。
去年の初夏に家族でキャンプに行った。
その帰り道の話をしようと思う。
だけどその前に自分の高校時代の話。
基本的な登場人物は自分、親友A、親友Bとする。
高校2年になってすぐの4月、Aがバイク事故で亡くなった。
Aはとても優しく人の事をまず先に考える、とてもいい奴だった。
で、Kawasaki車に憧れをもっていた。
理由はKawasakiは緑のイメージカラーだから。
とにかく何でも緑色が好きだった。
Bはチャラいが真面目な奴。
高校1年の1月に3人で一緒に原付免許を取りに行き原付を買った。
原付とはいえバイクに乗るのが楽しかったのですぐに3人でまた単車の免許を取りに行った。
自分は原付を買って金が無かった為、先輩から単車を安く譲ってもらう約束をしていた。
Aはというと親が金持ちだった為、新車のゼファーを買ってもらう予定だった。
緑色ではないけど。
Bはしばらくはそのまま原付の予定。
勿論、暖かくなってバイクがお互い来たら3人でツーリングに行こうと約束をしていた。
高2の4月、バイトして金を貯めている時にAが自分が譲ってもらう予定だったバイクを買うと言い始めた。
先輩がどうしてもすぐに金が必要だったらしく、買えないなら他を当たると言ってたと。
なので先にAが金を出して買い、自分が金が貯まったら同じ金額で譲ってくれるとの事。
なんていい奴だと思った。
Aも手元にゼファーがまだ納車されていなく、すぐ乗れる単車があればツーリングに行きたくなるのが当たり前。
3人で何処かいこうと誘われた。
だがそのツーリング予定日はバイトのシフトが入っていた為、自分は行けなかった。
ツーリング当日、その日は土曜日で学校は午後は休み。
学校終了後AとBで自分のバイト先まで来た。
ファミレスで厨房の仕事だったが暇だったのでサボって裏口で喋っていた。
ツーリングに行ける事、譲って貰う予定のバイクを見て、とても羨ましかったのを今でも覚えている。
1時間ぐらい喋って
「じゃ行くわ」
と言って2人は出掛けていった。
でもそれがAとは最後だった。
20時までバイトして原付でトコトコ帰った。
その当時は携帯はなく、家の電話で連絡を取り合っていた。
バイトから帰ってくる時間にいつもAから電話がくるのにその日は連絡が無かった。
夜11時過ぎに寝るかと思っていた矢先に電話が鳴り、Bからだった。
「Aが事故で死んだ」
何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
悪い冗談を言っていると思い電話口でふざけるなと怒り狂った。
でもBは電話の向こうで泣いている。
とりあえずBの家に行き話を聞く事になった。
だけど自分も放心状態ですぐにBの家に行けなかったよ。
その当時、溜まり場になっていたゲーセンにとりあえず寄った。
高校生で真夜中だったのでゲーセンには入れなかったが何人か友人達が外に集まっていて、事故の件は伝わっていたらしく皆でBの家に行く事になった。
Bから話を聞くと単車に慣れていないのに事故の多い峠道に行ったとの事。
峠道でBは原付だった為先導、追いつける様に後にAが走っていたがAは調子に乗りやすい性格だった為、スピードも結構出していたらしい。
Bがミラーで後ろを確認するとAが来てない事に気づき、少し待ったが来ないので引き返すとAはガードレールに突っ込んで倒れていた。
先にも書いたがその当時は携帯は無かった。
存在はしてたけど高校生には持てる金額ではなかった。
Aを置いて公衆電話まで行くか、通りすがりの車を止めて119番通報してもらうかしか無かった。
だがBはAを置いていけなかったらしく、他の車が来るのを待った。
山の中、車も通らず、10分近く待ってやっと車が止まったらしい。
事情を話し直ぐに119番してくれるとの事で車は山を降りていった。
でもやはり山の中、救急車は中々来ない。
到着時にはもう遅く、間に合わずにAは亡くなった。
首の骨折による窒息死。
当時携帯があったら、スマホを持っていたら、もしかしたら助かった命だったかも知れない。
そう思うと今でも悔しい。
でも1番悔しかったのはBだと思う。
Bはずっと泣いていた。
次の日、Aの家に行った。
変わり果てた姿に号泣した。
あれほど泣いたのは初めてだったかもしれない。
自分が譲って貰うはずだったバイク。
そのバイクをAが先に買わなかったら、自分がそのバイクに乗っていたら、自分も一緒にツーリング行っていれば、いや、そもそも自分達と一緒に遊ぶようにならなければ事故は起きなかったかもしれないと思うと後悔や罪悪感からAの両親に土下座して謝った。
Aの両親は自分やBを責める事なく、むしろAとずっと一緒に遊んでくれてありがとうと言ってくれた。
Aは中2の時に引っ越してきてすぐに仲良くなりずっと一緒にいた。
高校は違ったけど、ほぼ毎日どちらかの家に行きゲームやったりくだらない事で遊んでいた。
通夜、葬式と終わり火葬場まで行き最後の別れをした。
あの火葬場のでの匂いは今でも忘れられない。
それからの自分はAの家や墓参りには行くが事故現場には行けなかった。
どうしてもその時のAの姿を想像してしまいそうで怖くて行けなかった。
だから峠の名前、地域は知っていても詳しい場所まではわからない。
自分は中学、高校時代は5chでイキっても仕方ないが、ヤンチャしてた方だと思う。
けどその事故の件があってからは大人しくなった。
というか何もやる気が無くなり何も興味を持たなくなった。
Bも同様。
その当時、自分には彼女はいた。
Aの家の近くに住んでいる中学の同級生の子だった。
高校1年の時に付き合う事になった。
Aには相談もしていたし、3人で遊ぶ事もあった。
その子が今の妻。
何度か別れながらもよりを戻し、結婚した。
Aが亡くなってからの高校時代の自分の落ち込み様を知っている為、妻からはAの話をしてこない。
だけど、あれほど落ち込んでいたのに月日が経つとやはり過去の出来事になってくる。
中学、高校の時の友人と話をするとAの話になる事もたまにある。
でもAとは楽しかった思い出の方が今は強く、友人と笑いながら話をする。
バイクも実は今現在は大型に乗っている。
Aの事故を忘れない為にバイクに乗る。
しっかり安全運転で。
峠は絶対に行かない。
海っぺりをゆっくり走るぐらい。
妻は最初反対していたが今は理解してくれている。
娘も産まれて普通に今は暮らしている。
娘も小学生になり、キャンプしてみたいと言いはじめた。
自分もバイクでソロキャンプしてみたいと思っていたので道具を買い揃えキャンプに家族で行く事にした。
Bは今、車のディーラーで整備の仕事をしている。
バイクは乗らなくなったが、Aの事があり事故をなくす様に車の整備をしっかりやってくれる。
俺はそこで車を買い、Bにいつも車点検をしてもらっている。
キャンプ行く前にも見てもらい、OKをもらってキャンプに行った。
家族3人でよく出かけるが買い物やレジャー施設等ばかりなので自然の中に遊びに行くとなると3人共テンションは上がっていた。
ただ初めての娘のキャンプなので、その日は日帰りで帰る事になっていた。
1日遊んで帰る為に車を走らせた。
正直凄く疲れていた。
その途中に事故渋滞にはまり、バッタリと動かなくなり困っていた時、妻がナビを入れて迂回ルートを探し始めた。
そのナビが出した迂回ルートがAが事故った峠を抜けるルートだった。
妻は土地勘がないのでその道で帰ろうと言ってきたが自分は嫌だったので妻に説明をしたらすぐに納得してくれた。
ゆっくりこのまま帰ろうと。
けど渋滞のせいでさっぱり進まない。
やはり娘も早く家に帰らせてあげたかったので、仕方なくその峠を抜ける道で帰る事にした。
歩道もなくワインディングも結構キツイ片側一車線の峠道。
でも峠に差し掛かるとAの事を思い出してしまう。
けど今は妻、娘の為にしっかり安全運転で峠を抜けようと思っていた。
順調に何事もなく走って、峠の下りにさしかかり右カーブを曲がろうとしたその時、対向車の軽自動車がセンターラインをはみ出してきた。
自分は咄嗟にハンドルを左、右と切り何とか避けた。
事故は避けれらたと安心した束の間、今度は車道にぼーっと人が立っていた。
(何故ここに)と思い、今度は右にハンドルを切る。
そのまま左カーブだった為、すぐさま左にハンドルを思いっきり切った。
が、スピードが出すぎてて次のカーブが曲がれない。
ヤバいと思った瞬間、峠道によくある上り坂になっていて、スピードを落とせる車の緊急待避所があった。
ガードレールに少し擦りながらそこに突っ込んだ。
妻も娘もビックリして泣いていた。
何より自分が一番ビックリしていた。
少し小便を漏らした。
警察に連絡し、直ぐにBにも連絡した。
家族に怪我は無かったので良かったが、途中に人が立っていたのは何だったのかが気になっていた。
緑色の服を着た中年のおっさん、何故あんなところにいたのか。
しっかりと覚えている。
警察もしばらくしてから来て、Bも駆けつけてくれた。
だがBは何処か青ざめていた。
自分がAの亡くなった峠で事故を起こしたからか。
事故処理が終わり、家族を家に連れて行き、レッカーを呼んでBの店にそのまま直行した。
その帰り道の途中で妻に人が立っていたかと聞いたら立っていないとの事。
だがその人が立っていたと自分が思い込んでいた場所はあの時ハンドルを切らなかったらそのままガードレールに突っ込んでいたと。
そんな訳がない。
ドライブレコーダーをBと一緒に観てみた。
右カーブ、左カーブの順にカーブがあるはず。
右にハンドルを切り始めると軽自動車が飛び出してきて自分は左にハンドルを切る。すぐにまた右に切ると人が立っていた場所。
自分はその緑色の服を着たオッサンを避ける為にまた右にハンドルを切った。
だがレコーダーの映像だとそこには人は立っていなく、また緩い右カーブだった。
ですぐに左カーブ。
そのカーブを抜けると車を停めた緊急待避所。
なので実際は軽自動車を避けた右カーブ、少し行ったらまた緩い右カーブ、次は左カーブになっていた。
2つのカーブだと思っていた場所は3つのカーブだった。
自分が軽自動車のはみ出しに動揺してハンドル操作、緩いカーブを見誤っていただけ。
ドライブレコーダーには人は勿論映っていない。
ただ自分の声で
「うわ、何でこんなとこに人が」
とは言っている。
観終わった後にBが話をしてくれた。
「この緩い右カーブがAが事故した場所だよ」
と。
自分が見たあの立っていたオッサンはなんだっのか。
疲れかパニクって見た幻想か。
いやAだったのか。
でもオッサンだった。
高校生のまま亡くなったAが歳をとるのか。
歳をとったらあんなオッサンになっていたのか。
でも思い出した。
Aは緑色の服が確かに好きで良く着ていた。
本当にわからない。
でもAが自分の事故を避けさせる為にいたんしじゃないのか。
1番最初に自分は車もバイクも安全運転を心がけて整備も怠らずにしっかりしていると書いた。
だがそれが自分の運転に対する慢心だった。
Aがあの場所にいてくれて、避ける為に自分がハンドルを切らなかったら家族3人共ダメだったかもしれない。
後日きちんと初めて花を持ってAの事故現場に行った。
そこは日中にもかかわらず薄暗くどんよりとした雰囲気がする。
こんな所でAは事故した瞬間に1人で苦しんだと思うととても辛い。
それでもAは自分達家族を守ってくれた。
そう思いたい。
成仏出来ないんじゃない。
この事故現場で少しでも事故を減らそうと人思いのAなりに頑張っているんだろう。
そう思いたい。
来月はAの命日がくる。
もしまたAに会えるなら大人になったAに缶ビールでも奢ってやろうと思う。
これが自分の不思議な体験です。
読みにくい長文ですみません。
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