十数年前に、96歳で大往生したうちの祖母から聞いた話です。
明治の終わりから大正の始めにかけての頃ですね。
祖母は麹屋で生まれ、そこは酒造もしていて、子どもの頃はかなり裕福な暮らしをしたそうです。
使用人がたくさんおり、今となっては誰が誰やら記憶があいまいだとも話してました。
祖母が数え8歳のとき、4つほど年上の少女が子守に雇われてきていました。
その子は祖母には優しかったものの、赤ん坊のあつかいがぞんざいで、他の女の使用人によくしかられて泣いていたそうです。
また、胸が痛いと訴えてしゃがみ込んでいるのを何度も見たことがありました。
ある秋の晴れた日だったそうです。
祖母が庭に出たところ、子守の子が赤ん坊を負ぶったままうつ伏せに地面に手をついていて、赤ん坊が背中でわんわん大泣きしていました。
「だいじょうぶか」
と祖母が近寄って声をかけると、
なぜか顔を向こうに向けたまま、
「この赤ん坊、泣いて泣いてしょうがないから食っていいか」
と言ったんだそうです。
祖母は最初、何を言ってるかわかりませんでした。
「食っていいか、赤ん坊」
その子がもう一度ささやいたので、祖母の弟を食う、という意味だと察したんです。
「だめ、そんなのだめ」
祖母が慌ててとめると、
子守の子は
「そうかやはり跡継ぎは惜しいか。じゃあこれを食おう」
そう言って祖母のほうを向きました。
顔が盛り上がったように浮いて、赤い筋がいくつもついていたそうです。
獣臭いにおいがしました。
子守の子は祖母の見ている前で、自分の顔の皮を下からべりべりと引き剥がし、丸めてぱくっと一口で食べたんだそうです。
祖母は「きゃっ」と叫んでその場に倒れ、そのとき「くけー」という甲高い鳴き声が聞こえたように思ったということです。
気がつくと屋敷の仏間に寝かされていて、まわりに人がたくさん集まっていました。
母親の顔があったので「弟は」と聞くと、別室から抱いてきて見せてくれました。
なんでも、祖母が倒れていた近くの草むらで、ねんねこにくるまれたまま眠っていたんということでした。
子守の子は納屋の藁にうつ伏せに倒れているのが見つかり、抱き起こすと、まあるい形に顔の皮が剥がされていたんだそうです。
ただ、その他に体に傷ついたところはなく、医者の見立ては心臓の病で亡くなったものということになりました。
このことは祖母には知らされず、ずいぶん後になってわかったと言っていました。
こんなのが狐です。
この出来事があった冬です。
その地で大々的に狐狩りが行われたんです。
滅多にないことだと祖母は話してました。
狐は神様のお使いだから大事にされていて、ふだんは猟師もまず狩ることはしなかったと。
ところが先の話の子守の子の父親が猟師で、病死であったとしても、娘の顔の皮を剥いて食った狐に悪感情を持つのは当然だったと思います。
あちこちから鉄砲撃ち仲間を集めて、集落の裏山に入りました。
この地方では犬を連れた狩りはあまり行われず、集団でやる流儀でした。
だから、山が雪に覆われて獲物の姿がよく見える冬を待っていたんです。
それは凄惨なものであったと祖母は話しました。
もちろん祖母が狩りについていったのではなく、話を聞いただけでしょうが、雄雌関係なく、仔を孕んでいても容赦なく撃ち殺したそうです。
巣穴を見つけたら、生まれたばかりの子ギツネでも引きずり出し、後足をつかんで立木に頭を打ちつけてみな殺しました。
そして祖母の屋敷の納屋の前にうずたかく死骸が積み上げられたんです。
これは麹屋の当主も承知のことでしたから。
祖母もその様子は見ていて、血の臭いと獣臭さでむんむんしたと言っていました。
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