北東北のある人が、夏の盛りにフライフィッシングに出かけた。
ある程度釣り歩くと、すっかり日も暮れて川に夜が来た。
それでもその日は結構パタパタと魚信があったので、意地悪く釣り歩いてると、急に川が開けて、いかにも釣れそうな場所が現れた。
今日の最後はここで締めくくろうと竿を振ると、突然ブワーッとホタルが舞い始めた。
ホタルはまるで川面から湧き出すように飛び回り、川は幻想的な雰囲気に包まれた。
こんな量のホタルは珍しいなと思った途端、川から人の声が聞こえてきたという。
最初は気をつけてないと聞き取れないほどの声量だったのだけれど、徐々にその声は大きくなって、だんだんと内容が聞き取れるようになった。
集中して訊いていると、どうやらその声は、このあたりで小さな女の子が行方不明になり、その子をこれから近隣住民総出で探しに出かける、というような内容の話だったそうだ。
その時点でだいぶ怖かったのだけど、怖さよりも好奇心が勝って、竿を振りながらつい聞いてしまったそうだ。
その声は本当に、テレビドラマを音声だけで聞いているような感じだったそうで、その娘の母親と思われる女性の声や、捜索を依頼された村人の声というように、はっきり聞き分けが出来たそうだ。
そのうち、その声が佳境に入り、村人の声が「最後にここを探そう」というようなことを言った。
この時点ではもう既に、今まさに見えない捜索活動が目の前で行われているというような感じに聞こえたという。
本当に、何かの記録映像を見せられているかのように、音声だけが川面から聞こえ続けていたのだとか。
あまりにもリアルな会話がなにもない川面から聞こえてくるので、その人はとうとう怖くなり、
「どうしたんですか! 誰かいるんですか! 誰かがいなくなったんですか!」
と川面に怒鳴った。
その途端、
ああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
という、聞くに堪えないような女の悲鳴が聞こえたという。
その悲鳴で完全に怖くなって、その人は竿も折り畳まないままに川を飛び出して、止めてあった自家用車とは反対の方向に、すっかり暗くなった道をバタバタ逃げたという。
しばらく狼狽えてると、近くになにか家の明かりが見えてきた。
とにかく人の声が聞きたかったので、不審者そのまんまの格好でその家に飛び込み、
「すみません! 誰かいませんか!」
というと、奥から腰の曲がったばあさんが出てきた。
「とにかく喉が乾いてるから水をくれ」
というと、ばあさんがコップに入れた水を持ってきてくれた。
なんとおかわりまでお願いしたそうだ。
水を二杯も飲むと、気持ちも落ち着いてきた。
ばあさんが
「何があったんだ」
というような事を聞くので、その人は失礼な訪問を侘びながらも、今しがた起こったことをしどろもどろに説明したという。
するとばあさんは一笑に伏すどころか、沈痛な面持ちになってぎゅっと目をつぶり、搾り出すように
「そうか、またホタルが出たか」
と悲しそうに呟いたそうだ。
ばあさんが言うには、昔その川の近くに、県外から越してきた一家が家を立てて住んでいたのだという。
その家は他の家の人が羨むほどにアットホームな家庭で、父母には三歳くらいの一人娘がいた。
ある日、その家の娘が遊びに出たまま帰らなくなった。
村人は必死に捜索したが、その村ではたまに行方不明者が出ることがあって、その行方不明者は大抵川で死んでいたという。
夕方になっても娘が見つからなかったので、村人たちは半ば絶望的な気分で川を探した。
果たしてその娘は、ホタルが飛び回る川のトロ場にうつ伏せになって浮いていたという。
村人が目を背けた途端、母親が川へざぶざぶと分け入り、死んだ娘を抱きしめながら、あああああーーーーーーー!! と聞くに堪えないような悲鳴を上げたのだという。
結局、娘を失ったその一家はそれからすぐに家を潰してどこかへと去った。
それからというもの、その川の近くで幽霊に会った、怖い体験をしたという話が聞こえてくるようになった。
それは必ず、夏の盛りの夕方、丁度ホタルが飛び始める時間なのだという。
ばあさんの話を聞くに、この家に血相変えて飛び込んできた人は自分が初めてではないらしかった。
ばあさんの話を聞いて、その人は怖いというより、妙に確信めいたような、切ない気持ちになった。
というのも、自分が今釣りをしていた川は、わずかに湾曲した川が深い淵を形成するトロ場だったからだ。
なるほど、その川の上流で流された人がいるなら、遺体はきっとそこに浮くのだろうという確信があった。
その話を語り終えると、ばあさんは辛そうな表情のまま家の奥へと引っ込んで二度と出てこなかったという。
結局、その人は家の奥にお礼の言葉を言って、そっとコップを玄関に置いて帰ったそうだ。
そのせいで、その人は以来、ホタルの飛び始める時間まで釣りをすることはなかったのだという。
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