昔住んでた家のこと。
父の仕事の関係で何回か引っ越していたけど、その時に住んだ一軒家。
会社が借り上げているものを、社宅として使っている物件だった。
部屋は1階に2部屋(リビングと洋室)とキッチン、2階に3部屋(和室と洋室2つ)。
築20年以上で古いことは古いんだけど、家も庭も広く最初は家族みんな気に入っていた。
その家に引っ越してから、今思えば集中しておかしなことがあった。
兄は成績は良いほうで、それまで全然問題なく友人も居て和気藹々とやっていたのに、成績が良いことを鼻にかけていると唐突にクラスの奴に言われて、いじめに遭った。
不登校とかにはならず、成績も落ちることもなかったけど、家の中では凄く荒れた。
当時、我が家は父の意見が絶対、いわゆる暴君だった。
特に兄と父は折り合いが悪く、何かにつけて父と兄は衝突していた。
大体兄が父に怒鳴りつけられて終わっていたけど。
父には何も言えない分、母に暴力をふるい罵詈雑言吐き続ける。
流石に暴力は制止したら、今度は俺に飛びかかってきて、本気で殴り合いになって、俺は腕を怪我して4針縫うし。
俺が自分の部屋でTVを観ているだけで、
「うるさくて勉強に集中できんだろがあ!!」
と、部屋に怒鳴り込んで来て、ひとしきり暴れて、部屋に戻って何かブツブツと言っている。
俺は部屋に居るだけで兄を刺激していちいち難癖つけられるのも鬱陶しいので、何かにつけてリビングに居ることが多くなって、母の愚痴をひたすら聞いていた。
引っ越しした年の冬、父は事故に遭って、一命はとりとめたけど、退院して自宅療養の間中、
「部屋が寒い!寒いんだ!」
と、家中の暖房をリビングに集めて、昼夜問わず30℃以上にしているし。
俺には暑過ぎて、父が仕事復帰するまではリビングには居られず、自分の部屋でひたすら勉強するか本を読んでいた。
母は母で一つ病気が発覚して、命に関わるものではないけど、現在身障手帳持ち。
俺…は、さりげなくクラスの一部からシカトとかされたけど、軽く厨二病発症中でそんなことは気にせず、
「くだらねぇ」
とか言って、そいつら以外の連中とつるんで気楽に過ごしていた。
もしかしたら、この厨二病発症が、当時の俺の一番の問題だったのかも知れないが。
この家の違和感をはっきりと確信したのは、とある日曜日。
兄は
「家がうるさいから勉強に集中できない」
と図書館へ行き、父はゴルフで不在。
母と俺がリビングでぼんやりとTVを観てると、誰もいない2階で扉を開ける音がした。
「兄貴、帰ってきたっけ?」
と母に聞くと、
「まだ」
と答えて黙ってTVを観てる。
扉を開ける音は2階の和室のほうだったんだけど、和室から出て廊下をゆっくり歩く足音。
「…誰か居るのか?!足音聞こえてるぞ?!」
と、俺が足音のする位置を見上げてても、母は
「不思議ねぇ」
と、気にすることなくずっとTVを観続けている。
「誰か居たらやばくね?!」と言い、何か武器になるものを探してると、母は
「あんたたちが居ない時も、いつもあんな感じよ」
と、1人の時も何かの気配があるのは日常で、もう気にもならなくなったと話し始めた。
何でこんな時に無駄に肝っ玉が座ってるんだよ…と正直驚いた。
それからも、その足音は時々聞こえてくることがあったが、一番長い時間家に居る母が、それを気にせずに何事もなく過ごしているなら、まあいいかと思うことにした。
しかし、そうは言っても、やはり引っかかり続けていた。
俺はある暇な日に、家の中を細かく観察するように見回してみた。
家の壁紙とか窓のない扉とかは大体布張りで、贅沢な作りだったんだと思うんだが、1階の廊下の壁には、何かを拭き取ったような古い茶色いシミがあった。
…これ、血じゃね?と思った。
しかしまさか?と思って、他にも探してみた。
2階の廊下にも、古い茶色いシミ。
それは拭き取りもしてなくて点々となんだけど、形状は、床に落ちた液体が跳ね返って壁についた、というようなもの。
さらに探すと1階の洋室にも、同じ茶色いシミが床から低い位置にあった。
これが一番強烈だった。
血のついた手で、指の第一関節だけ扉に触れたような形状で、丁度指五本分。
倒れこんだ体勢で、丁度そこに手をついたような。周囲には細かく点々と飛沫の跡もあった。
さすがにこれを見つけた時は冷汗が出て、
「これ、血の跡じゃね?!何なんだよこの家!!」
と、母に叫んだけど、
「…そうかも知れないわねぇ。でも仕方ないでしょ、引っ越すわけにもいかないし」
と、やたらと達観しているのか諦めているのか、母はやたらと冷静な様子だった。
それからしばらくして、父の仕事の都合で別の県に引っ越すことになった。
引越してから新しい家に住み始めてからしばらくして、父が唐突に、
「あの家はやっぱり何かおかしかった。あそこに住んでいる間はろくなことがなかった」
と、ブツブツ言いだした。
母はその言葉を聞いて、
「だって、あの家に居る時に『この家おかしい』って言っても、 貴方聞くどころか、『気に入らないなら出ていけ』って怒鳴り散らすばかりだったじゃない」
と、淡々と返していた。
あの母の諦めているというか達観しているというか、そんな様子だったのは、その経緯があったからだったんだ、とその時に知った。
父も引っ越してからは少し穏やかになり、母に言葉を濁しつつも謝っていた。
今思えば、父もあの家に住んでいる間は特に、暴君ぶりに拍車がかかってたかもしれない。
兄と当時のことを話してみたら、思い出したくないとか言いながらも話し始めた。
「あの頃、俺がいつも図書館に行くようになったのは、 部屋で勉強してたら、誰かのすすり泣く声が聞こえるようになったんだよ。昼だろうと夜だろうと。おまえが観てるTVの声だと思ってたけど、違うことに気づいて、家に居たくなかった」
なんてことを言い出した。
俺もそのすすり泣く声は実は聞いていた。
だけど俺は、いじめられていることが悔しくて兄がすすり泣いているもんだとばかり思い込んでいた。
兄もプライドがあるだろうからと、何も突っ込まずに居ようと思って黙っていたんだ。
何年も経ってから、その家に住んでた頃の友人と会おうという話になって集まった時、その町に来るのも久しぶりで懐かしいと思いながら、家の辺りにも行ってみた。
友人の一人が、
「おまえの住んでた家って、何か妙に空気が重いって言うか、変な雰囲気だったよな」
とぼそっと口にした。
今はもう家は取り壊されて、小さいマンションが建っていた。
あの家では一体何があったんだろうか。
あのマンションの住人にも、あの足音やすすり泣く声は聞こえているのだろうか。
ポポは、知っている。
ポポは、知っている。だす。