もう10年以上前、おれが友人たちと野外の会場借り切って、フリーライブをやってた時の話。
季節は春先くらいだったろうか。日曜日。
まだ開演したてで、お客の数はそう多くなかった。
こういう時は歌いながらでも、客席がよ~く見える。
その中に、40前後の男女のふたり連れ。
デートの途中、休憩がてら立ち寄るカップルは珍しくないのだが、いでたちがおかしい。
男性はスーツ、ネクタイ。
女性もいわゆるビジネススーツだ。
日曜日のデートでこの格好はあるまい。
休日出勤の同僚、とも考えたが、ならこんなところでなにやってんだよ、という話である。
ただ、ふたりの座る距離が妙に近い。
試しにと、次にやる予定の曲を取りやめ、不倫をテーマにしたバラードをやることにした。
リアクションはテキメン。
女性のほうなど手を胸の前で握り合わせ、夢見るような表情で聴いている。
歌い終わると、笑顔で拍手だ。
もし、『そういうこと』なら、わかりやす過ぎるぜ、おねえさん――
などと苦笑しながらワンステージ終える。
替わって友人たちのバンドが演奏をし、おれは会場係。
その時、例のおふたりが声をかけてきてくれた。
演奏の後、会場をうろうろしていると、聴いてくれたお客が話しかけてくれることがある。
大抵の場合、好意的な励ましの言葉がいただけるので、その時も満面の笑みで応えた。
友人たちのバンドが演奏を終え、ライブはインターバルの時間になった。
まだ若い、無職のヴォーカリストがおれのところに走ってきた。顔色が悪い。
「Tさん、いまのひとたち…」
呼吸も荒い。
「……ど、どんな話、されました?」
「いい歌だとほめてくれたよ。それと――なんだっけ、なんか決心がついたとか……」
おれの話を聞き終わる前に、そいつは舌打ちをし辺りを見回した。
さっきの男女を探しているなら、もうみつけるのは難しいだろう。
彼もそう思ったようで、あらためておれに向き直り、真面目な口調でいった。
「そのおふたり――おそらく、結ばれることが難しい立場にいる、恋人同志でしょう」
多分ねーと軽く返すおれ。
「ステージから見ていてもわかりました。多分、その抱えている問題は、おれたちが想像する以上のもので…」
「うん」
「おれは何度も見たことがある。自殺者の――自殺志願者の姿です」
彼は“見える”人間だという話は聞いていた。
現に、彼の“ご託宣”に従い、人生をまったく変えてしまった(いい方に)男をおれは知っている。
「それって、不倫の末に心中とかの話か?」
「多分」
「へえ」
「へえじゃないですよ!Mさん(彼のバンドのリーダー)もそうですけど、ふたりとも自分たちの“歌の力”に無頓着過ぎる。いいですか、人間の声の力というのは、祈りであれ、呪いであれ、古来から超自然的な効果を期待されて発せられてきました。言霊とかじゃなくて、声を発するという行為自体が非日常であり、そこに届く力があるんです。洗脳の技術として、異様な発声や執拗な繰り返しに曝し続けるという方法論がありますが、故なきことではないんです」
そいつがあまりに真剣で、しかもおれに対し怒っているようなので、だんだんおれも怖くなってきた。
「じゃあ、もしあのふたりが心中したら、最後にやったおれの曲のせいってことか?」
「はい」
「いい切るな馬鹿!それじゃこれからなにも歌えなくなる!」
「そこまではいってません。ただ――Tさん、あのふたりの関係にうすうす気づいた上で、最後の曲やったでしょ」
「…………」
「そういうことは、やめた方がいいです」
話はそれで終わった。
その後、おれの目にした範囲の事件の記事やニュースで、該当する男女の死亡事件はない。
しかし、人間が声を――
特に非日常的な声を発するというのは、危険なことなのだといわれたことが頭に残った。
そういえばどこかのスレで、カラオケボックスには霊が集まりやすい、とかいう話を読んだ。
おれはその後、ほどなくライブ活動をやめ、作曲活動に専念したが、数社から新人歌手の楽曲提供のオファーが来て、結局どれも採用されず、音楽活動をやめ、現在に至っている。
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