俺がまだ親父の玉袋の中で三億人の兄弟と暮らしてた頃、親父は山仲間2人と秋山登山を楽しんでいた。
連休で天気も良好、のんびりと『山男の歌』とか歌いながら順調に登ったらしい。
だけど、昼も過ぎたあたりから急にガスってきた。
そのまま『乙女心と山の空』というように、あっという間に雨が降ってきたのだ。
まあ自称ベテランの親父たちは、ガスった辺りからヤッケを着てたので問題は無かったのだが、そのままのペースで歩けば、あと二時間程で宿泊予定の山小屋に着くという時に、仲間の一人(仮に樋口さんとする)が、「…さみぃ」と呟き蹲ってしまった。
どうしたのかと額を触ってみると、物凄く熱い。
それに顔は真っ青だ。
これはまずい。と樋口さんに肩を貸しながら、やっとの思いで山小屋にたどり着いた。
その時点で、すでに三時間もかかってしまってた。
樋口さんの顔色はもう土色になっており、早いとこ横にして寝かせてやりたかった。
だが、悪いことは重なるもので、山小屋はすでに満室。
廊下にも人が溢れ返っていた。
親父「せめて樋口だけでも寝かせてやって下さい」
山小屋の管理人「申し訳ない。健康な人なら無理やり泊めることはできるのだが。その様子じゃお連れさんはもう…」
親父「まだ大丈夫です!!なんとかお願いします!!」
山小屋の管理人「わかりました。こちらに…」
そのまま案内された部屋を見て、親父は拍子抜けた。
その薄暗く、カビ臭い八畳ほどの部屋には、親父達を含め四人しかいなかったのだ。
先客の一人は、部屋の端っこで行儀良く寝ていた。
そして、カビとは違う、なんとも言えない臭いが立ち込めていた。
なんだ?こんな部屋の無駄遣いっぷりは?あんなに沢山人がいるのに。
親父は疑問には感じたが、まずは仲間の介抱だと、コッヘルでお湯を沸かし、熱い雑炊を作って樋口さんに食べさせた。
ついでに親父達も夕飯を済ませ、七時頃には樋口さんを真ん中にしてシュラフに包まった。
それから、どれ程の時間が経ったか。
どうも寝付かれない。おかしい。いつもなら泥のように眠っている頃なのに…
「おい…クマ(親父のあだ名)。起きてるか?」
と、もう一人の仲間がボソリと呟いた。
「おお。なんか寝れね。お前もか?」
「ああ。それよりもこの部屋」
「なんか、変だよな。他の部屋は山男でごった返してるってのに」
「その前に、だ。山小屋前の掲示板。便所のついでに見たんだが」
親父の背中を得体の知れない寒気が襲った。
「『行方不明八名。死者一名。』って書いてあった」
聞いた事はあった。
山小屋の一部には、病院の霊安室に相当する部屋がある事。
四畳程離れた布団で寝ている先客は。
この臭いの正体は。
「もう寝る」
親父はシュラフに頭まで突っ込んで目を閉じた。
翌朝、その先客は、他の山男が下山や登頂等で少ない頃合を見計らって運びだされた。
救助隊のヘリで下山するとのことらしい。
その次の日には樋口さんも元気を取り戻し、山小屋の管理人を驚かせたそうだ。
ただ樋口さんによると、あの日に熱で苦しむ彼の額を、頻繁に触った冷たい手があったそうな。
樋口さん「まっ、山男に悪人はいないからな。あの手がなかったら、俺もヘリで下山してたかもな」
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