小学校1~2年生まで自分は感情の起伏の無い子供だったらしく、両親がとても心配してよく児童相談所や精神科みたいな所に連れていかれていた。
その時も面倒くさいとも楽しいとも思った事は一切無く、自閉症気味と診断されていたそう。
今親に聞くと、赤ん坊の時からめったな事では泣いたり笑ったりする事も無かったとか。
でもきちんと人の話は聞くし、知能も高かった事から親以外からは大人しい良い子だという風に受け入れられていて、上手く言い表せない自分の両親は心配しながらも、少し不気味に感じることもあったそうだった。
でも自分の爺さんは、そうやって不安がる両親に対して
「こいつにはこいつのペースがあるんだ。放っておけ」
と言うだけだった。
別段爺さんは自分を甘やかす事も無く、だからと言って無視したり虐待するでも無かったけれど、婆さんと両親は爺さんを冷たいと怒っていた。
ある日、爺さんが風邪をこじらせて肺炎になり入院した。
母親に連れられて見舞いに行ったとき、母親が花を花瓶に入れる為に病室を出て行った。
自分と爺さんが二人だけで病室にいて、何も話す事は無く物音一つしなくて二人共動く事も無かった。
ふと自分の頬の側の空気が動き、見ると爺さんが青い小さなみかんを自分に差し出していた。
それをそのまま機能的に受け取って、爺さんも自分も何事も無かったように母が来るまでじっとしていた。
そのみかんをどうしたかは記憶が無い。
きっと家族の誰かが食べたんだろうとは思うけれど。
爺さんはそれから少しして死んでしまい、お通夜も葬式の時も何も感じる事は無かった。
初七日が過ぎ、爺さんの仏壇に供えていた青いみかんを何の気なしに母親が自分に与えて、自分も受け取ってその皮を剥いた。
青いみかんのしゅわっという香りとみかんの水分が自分の周りに漂った瞬間、自分の喉の奥が急に詰まったように痛くなり、胃が固まって震えるような感覚に襲われた。
生まれて初めての感覚に驚き、声を上げようとしたけれど喉が潰れたような感じになってうめくような声しか出てこない。
その時初めて「助けて」と思い、うずくまっていると顔が濡れている事に気がついた。
触ると目からぼたぼたとどんどん涙が出てくる。
自分のうめき声に驚いた母親が慌てて自分に駆け寄ってきたのがわかった。
母親に必死にしがみ付き、自分の世界が壊れていくような恐怖を感じ、身体を硬くして叫び続けていた。
母の暖かい腕が自分に巻きついているのを感じ、温かい手のひらが頭や顔や体を撫でてくれているのを感じ、そしてだんだん落ち着いていくのが判った。
どこか痛いのかと心配する母と父と婆さんの顔を見て、口が自然に開いて、しゃくりあげながら「ありがとう」と言葉を発していた。
顔の筋肉が引きつって、あんなに苦しかった胸の中がだんだん温かく柔らかくなっていくのがわかった。
両親と婆さんが驚いた顔をして、とたんに皆が今度は泣き出した。
「ありがとう」
と言って自分は笑ったらしい。
爺さんが、感情を出しやすくしてくれたんだと婆さんと母親が言っている。
父親も自分もその事がどうとか何も言わない。
でも爺さんの仏壇に毎日毎食、皆が食べるものと同じお膳を備える事を一日も欠かす事は無い。
戦闘民族の誇り
ポポプラジル