大正生まれの祖父は、妻である祖母が認知症になってもたった1人で介護をし、祖母が亡くなってしばらくは1人で暮らしていた。
12歳のときに祖父は我が家で同居することになった。
でもその時、祖父もまた認知症になっていた。
私が成長していくのと反比例するかのように、祖父は1人で出来ないことが増えていった。
母は仕事を辞め、祖父の介護に専念した。
両親が私にかまってくれる時間が減って、私は祖父を憎むようになった。
旅行もいけない。
トイレも汚れる。
私の名前すらわからない人と暮らしている現実が嫌で、
「おじいちゃんさえいなければ」
とも思った。
そのうち祖父のことを
「あの人」
と呼ぶようになった。
なので大学は県外の学校を選び、一人暮らしをした。
「おじいちゃんが危ないかもしれない。」
母親から連絡が来て、急いで実家に帰ると、ほっそりとした祖父が寝ていた。
もう徘徊したり暴れたりする様子はなく、とても穏やかに寝ていた。
とにかく涙が止まらなかった。
「死なないで欲しい」
と心から思った。
その数日後、祖父は息を引き取った。
私はちゃんと知っている。
私が3歳のころ、母が病気で入院した。
母の両親は既に他界しており、私の預け先に困っていた。
すると祖父は
「たとえ5分でも○○(私)を1人にしてはいけない。何かあってはいけないから、うちに預けなさい。」
と高齢に加え、認知症の祖母の介護をしていたのにも関わらず、毎日子守りを引き受けてくれたこと。
私が祖父の家へ遊びに行くと言えば、布団をポカポカに干し、流行りのお菓子を買い、かわいいポチ袋におこずかいを入れて待っていてくれてたこと。
そして、祖父が私のために口座を作っていてくれたことも。
まだ認知症がまだらだった時に、私が
「将来海外で仕事をしたい」
と言っていたのを聞いて、母にお金を残すよう伝えていたらしい。
たくさん私のためにしてもらっていたのに、なんであの時祖父を嫌ってしまったのか、今でも本当に後悔している。
伝えられるのであればお礼を言いたい。
そしていろんな話をしたい。
今年、海外赴任が決まった。
祖父が残してくれたお金で大学院まで行かせてもらったおかげだ。
おじいちゃん、本当にありがとう。
天国にいったらしっかりとお礼するね。
大好きです。
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