ばあちゃんのぼけは日に日に進行してゆき、次第に家族の顔もわからなくなった。
お袋のことは変わらず母ちゃんと呼んだが、それすらも自分の母親と思い込んでいるらしかった。
漏れと親父は、ばあちゃんと顔を合わせるたびに違う名前で呼ばれた。
あるとき漏れがお茶を運んでいくと、ばあちゃんは漏れに駐在さんご苦労様です、とお礼を言って話しはじめた。
「オラがちにも孫がいるんですけんど、病気したって見舞一つ来ねえですよ…昔はばあちゃん、ばあちゃん、てよくなついてたのにねえ…」
そう言ってばあちゃんが枕の下から取り出した巾着袋にはお年玉袋の余りとハガキが一枚入っていて、よく見てみるとそれは漏れが幼稚園の年少のとき敬老の日にばあちゃんに出したもので、
「ばあちゃんいつまでもげんきでね」
なんてヘタクソな字で書いてあったものだから、漏れはなんだか悔しくて悔しくて、部屋を出た後メチャクチャに泣いた。
悲しみ笑い
痴呆になって亡くなっていく人は、悲しみや苦しみを忘れて幸せだなんて聞くけど・・・これは、切ない。
ばけらった
痴呆と言う表現するな!!
その言葉は最早、差別用語だ
『認知』と言え!!