僕にはやくざの親父が居ました。
酒癖が悪く、毎晩母と中学生の兄に暴力を奮い、それは僕が6歳の小学1年まで続いた。
なぜか僕だけは暴力を奮われず、可愛がられてましたが、そんな暴力を奮うアル中やくざ親父が大嫌いだった…
今でも覚えてる当時の記憶で、深夜、2階の窓から外で母が殴り倒され、兄が裸足のまま逃げて、それを親父が追いかけてる記憶で、よく【暴力を止める役】だった僕でも、たとえ自分には危害を加えないと解っていても、その時は怖くて泣いて見ているしかできなかった…
僕が小1の時に、警察のマル棒刑事の助けもあって、母と刑事の綿密な打合せの結果、親父が覚醒剤を仕入れた時に、ガサ入れをしてもらい、覚醒剤は残念ながら出てこず終いだったが、模造刀を研いで真剣にしてあった為なんとか逮捕となり、その後裁判所の方々の親切かつ強引な方法で離婚→接近禁止命令に持っていけたそうで、ようやく平穏な日常が訪れた。
しかし、毎月1度は必ず上記の記憶が夢に出てきて、その度に「なんで止めなかったんだろう…なんで警察呼ばなかったんだろう…なんで…寝込みても襲って殺さなかったんだろう…なんで…なんで…」と当時の恐怖や悔しさ等が襲ってきて夜中に起きては泣いていた…
その事は母にも知られて、何度も「もっと早くに別れてあげられなくてごめんね…」と謝られたが、これを書いてる今でも母も含めて誰にも言えない事があった…
それは、当時…家族全員寝静まった頃、台所に行き、包丁を持って父を殺そうと握りしめていた。
結局毎回怖くなって包丁を置き戻し、寝室に戻り眠っていた…僕は、その時のことを思い出す度に「なんで勇気を出して殺しておかなかったんだ…」ととても後悔し泣いていた。
両親が離婚してからも暴力を奮ってなかった僕にだけは連絡が許されていたのか、たまに電話で話していた。
その時は普通に可愛がっている様で、とても嫌だったが、親父を拒んだ時の逆ギレ報復を思うと嫌々話していた。
しかし、高校生の就活時には、とうとう電話で初めて僕に脅しをかけてきた…
「大学へ行け!大学へ行かなかったらやくざ継がせてやるぞ!(勿論金のことなんか考えてない無責任発言)」や、他にも「大学へ行かなければぶち殺す」等と脅してきた。
勿論金もないし、勉強してまでやりたいこともなかったが、あまりの怖さに「はい…分かりました」と答えてしまった…
それから無事に一発で就職の内定を勝ち取ったが、1ヶ月たった頃でもその事が親父には言えず、毎日どうやって誤魔化そうか…そればかり考えていた。
しかし、ある日夢の中で「逃げてばかりじゃ勝てないよ」と声か何かが頭に響き目を覚ました。
その言葉が、僕を勇気付け、起きてすぐに親父に連絡し初めて刃向かった。
その時の話した内容を要約すると…
・就職内定を取った!大学へは行かない(行ける頭もない)
・大学へ行けと言うが金はどうする!この無責任!
・やくざの親父が嫌いなのを知っていて何が「やくざ継がせる」だ!ざけんな!
・てめぇの子どもに「殺す」とか平気で暴言吐いてんんじゃねぇよ人でなし!
・あんたの言うことは二度と聞かない!これ以上俺の人生に関わるな!
以上の事を間髪入れずに吐き出した…
すると、なんとも呆気ないもので親父は弱気なり、それ以来連絡が途絶えた。
それから2年後、急に親父の姪(俺の従姉)から連絡があり、親父が食道がんになり、余命が半年もないと知らされた。
その時、親父が、死ぬときは地元(僕らの住む市)で死にたいと言ったため、最初は抵抗があったが、「腐っても親は親…いずれ後悔しないためにも看取ろう」と家族で決めた(といっても母は当然死んだ後にしか会わなかった)
親父は地元の病院に移ってから二ヶ月で死んだ。
葬式は散々だった…親父の兄弟分が集まりやくざの宴会状態…
親父の死を聞きつけ、高校時代の恩師が葬式に来てくれたが、あまりの恥ずかしい惨状に目を丸くしていた…
流石に会社の上司にバレたら処分の恐れもあるので、密葬と言うことで丁重にお参りやお花もお断りした。
葬式が終わり、やっと親父が死んだことに安心したが、トラウマは依然と続いていた…
最初に書いた暴力現場の記憶もそうだが、なにより、親父を殺そうと包丁を握りしめていた記憶が僕を苦しめた…
「なぜ勇気を出して殺さなかった」という思いと、「なぜ実の親を殺そうとしたんだ」という思いが僕を苦しめた…
親父が死に1年が経ったある日、幼い頃から気にかけて助けてくれている飲食店の創業50周年記念パーティーがあり招待された。
そこでは、その飲食店で小学生の頃からの知り合いだったおばちゃん歌手がゲストとして歌いに来ていた。
その歌手も地元のライブハウスに長年ライブで通っていて、飲食店に世話になっているので、良く知っていて応援していた。
その歌手が、何曲か歌ったが、途中…【命】がテーマの曲が歌われた…
その曲が僕を変えた…
包丁を握りしめていた記憶を思いだし、「なぜ勇気を出して殺さなかったんだ」という思いが打ち砕かれた…
「命を奪うのは勇気じゃない」
「勇気は初めて親父に刃向かった時の様な【戦う決意】や母がマル棒の刑事に相談した【逃げる決意】なのだ」
と…気付かされた…
僕はそのパーティー会場で号泣した…
周りの知り合いや母にも理由は言えなかったが…
そしてこれを機に、僕は本当の意味で【親父と決別】できたのだと思い、とても気持ちが楽になった…
それから新しい夢もできた
この歌の力で、他の僕のように苦しむ子供たちの心を少しでも癒したいと…
それから半年後、僕はパーティーで歌った歌手の事務局として活動を始めました。
その歌手も僕の夢を応援し、一緒に夢を叶えようとしてくれています。
ここまで読んで下さった皆様…
まとまりのない文章かつ長文を読んでくださり、ありがとうございました!
僕はもう大丈夫です♪
トラウマにも負けません!
ここまでの長文失礼致しました!
そしてありがとうございました!
JJさん(男性:23歳)からの投稿でした。
ご投稿ありがとうございました。
………
父親からの呪縛が解けて新たに生き直す貴方に幸が多からんことを祈ります
頑張ってな~!
親父さんが地獄で待ってます。
おまえこんなとこにまで❗あほか人でなし❗