中学時代の話。
登校すると、男女数人でもめていた。
頬にあざがある男子をみんなが差別者だと罵っていた。
話によると、そいつ(Aとする)には知的障害を持つ兄がおり、そいつがパニックを起こして暴れ、手が当たって怪我をしたという。
Aは場の空気が重くなるから話題に上らせなかっただけなのに、あざをきっかけにクラスメイトが根掘り葉掘り聞き出した挙句、障害がある事を恥じて隠していたとクラスメイトは解釈したらしい。
数日前にその手の障害者を扱ったドラマが放送され多くの人が感動していたことが、Aを差別者だと解釈する後押しになっていたようだ。
感動した人間の一人が担任だったこと。
クラスの中にはA同様に知的障害を持つ身内がいたバスケット部員(Bとする)がいたことが話を益々ややこしくした。
担任は予定を変更して一時間目をホームルームにして命の大切さやら障害者の存在意義やらを熱っぽく語るし、Bは小学校に上がる前に死んでしまった知的障害の弟の話を涙ながらに語り、障害を持つ兄を愛せないAを責めた。
こうして、介護の不満をついうっかり漏らしてしまったAが人非人扱いされ、怪我したのも障害を持つ兄に何か酷いことしたんだろと責められていた。
義憤と私憤に駆られた俺は言い放った。
Aの兄とドラマに出てた障害児とBの弟は別人、それをわかってる?
ドラマの子もBの弟も早いうちに死んでくれた、だから感動する話になったし良い思い出にできた。
小さいから体重だって軽いし腕力だってそれなり。だったら世話も(比較的)楽だし叩かれたって大して痛くないだろう。
逆にズルズル生き続けて体格ばかりデカくなったらどうする?
Bは弟の世話がいかに大変かを語っていたが(それでも弟を大事に思えたし色々な事を学べたと言ってAを責めていた)、お前はバスケの練習の苦労話やら試合での活躍をよく得意げに語っていたよな?
弟が生き続けてたら世話にかかりっきりでのんきにバスケなんてやってられないだろ。
Bは障害を持つ弟の世話から解放された。
そんな楽な境遇の奴がどうして、現在進行形で大変な思いしてるAを責められるわけ?
要約するとこういう内容。
障害者がテレビに出てくると、体弱くてあまり外に出たがらなかった俺は親達からああいうのを引き合いに甘えだのと責められていたので、メディアに出てくる障害者の美談も、それを妄信する手合いも大嫌いだった。
だから言いたくてしようがなかったことをぶちまけてやった。
Aは呆然として何も言わなかった。
うかつに口を開けばまた曲解され叩かれると思ってたらしい。
当然ながら先生やBその他もろもろの反論はあった。
だが、都合のいい場面しか扱わないTVや、本を書いてる暇をもてる程度には余裕のある障害児の親の手記でしか障害児を知らない担任たちの言う事はもはや奇麗事にしかならなかった。
Bは、バスケは弟ができなかった事を代わりにやってるなどと言ってたが非常に白々しいものになったし、自分自身が介護の大変さを語っていたため、弟が生きててもバスケと両立するだの弟と共に楽しむだのと言っても説得力がなかった。
しまいには施設で預かってもらう等とBは言ったが、バスケのために弟を施設に放り込むのかと他の奴に突っ込まれてた。
死んでくれた、ズルズル生き続けたといった表現が元で攻撃の矛先は俺に移り、Aへの糾弾はうやむやになった。
俺は口が悪かったため元々クラスで孤立気味だったから大した被害にはならなかったし、なによりAに感謝された。
Aは無条件で兄の面倒を見るよう身内からプレッシャー受け続けていたため、自分の境遇について思考が停止していたらしい。
とにかく自分が悪いと考えるばかりだったんで俺の意見で目が覚めたという。
バスケの活躍で調子に乗っていたBはこの一件でおとなしくなった。
そしてAは介護の件で親と談判する勇気を得て、多少は自分の時間を勝ち取ったという。
確かに言葉は悪いが、主人公の言葉が正論。
介護ばかりは、やった(やってる)者にしか、その苦労は絶対に分からない。
「大変だね」と声をかけられるが、そんな一言で片付けられる程、甘っちょろいもんじゃない…
確かに!!自分も介護職に従事しているが正にそのとうり。
知ったかぶりしてる連中は『ヘルプマン』を読め!!
やはり安楽死だな