中学の時の話です。
我が家は母子家庭で貧しく、生活費を稼ぐために母の運送業を手伝っていました。
小包の宅配やチラシや冊子の投函を主に手分けしてやっていた。
母の苦労も見てきていたし、俺がやらなきゃ誰がやるって感じで義務化していたが、少しだけど、何でこんなに頑張らなきゃいけないんだろう…休みたい…遊びたい、と思ってたりもした。
そんなとき、その当時ではかなり良い仕事が入った。
ガス会社から全世帯に送られる天然ガスへの移行案内についての封書でたしか普通のチラシの単価の4倍の単価だったと思う。
その投函作業の手伝いで、僕は120件、母さんは160件を、とある大型店舗の駐車場から二手に別れて始まった。
チラシと違って封書は重たく、紙袋に入れていたのだが10~15㎏はありおまけに北海道の夏とはいえ炎天下、当時の僕には地獄だった…
仕舞いには配達4件目手前で重さで紙袋が破れた…
幸い4件目のお宅で代わりの袋を頂けた…(その時、中からネプリーグの再放送がやってる音が聞こえきて一気にやる気が失せたのを今でも覚えている…)
それから30~40件が終わり、だんだん紙袋が軽くなってきたところで更なる地獄が待っていた。
一階に集合ポストがあり、いっぺんに投函が出来る配達人には天国の市営住宅があるのだが、稀にポストにガードがあり【直接部屋のポストまで持ってこい】的な災厄があるが、その災厄が僕に降りかかってきた…
しかも5階建てのエレベーター無しの4階…
なんで俺がこんな目に…帰りたい…休みたい…遊びたい…さっきのネプリーグの再放送見たいなぁ…、などと思いながら階段を掛け上がっていた。
途中、2階フロアでこの市営住宅に住んでいると思われる友達を待っている小学低学年位の少年がいた。
無事に4階の投函を終え、降りていたら先ほどの少年が僕の状態を察したからなのか、
『お兄ちゃん!頑張ってね!』
と言ってくれた。
『ありがとな!』と返事して別れたが、そのおかげで疲れが一気に吹っ飛んだ。
恐らくそれからの配達は世界一気色悪い笑顔だったと思う。
それくらい嬉しかった。
社会人になり、毎日数字に追われる(追う?)毎日を送ってる俺…またあの少年の純粋な応援を受けたい…
これを読んでくださった皆様、皆様の周りで必死に頑張ってる人がいたら…挫けそうな人を見付けたら…どうか優しく励ましてやってください。
長文・駄文失礼しました。
俺も純粋な応援ってのを受けてみたいなぁ~罵声ばっかうんざり…(;´д`)
この実話を読んだ際自分の体験をおもいだしました
高校時代の事です
私のことをマジであまりよくは思っていなかった男の子がソフトボール大会でバッターボックスに立ったときに大声でK君頑張れと2、3回
エールを送りました彼はもの凄く嬉しそうな顔してこちらを見ていました
それからというもの彼は私に会つた時は
いつも笑顔に変わりました