私の祖父はとにかく家族を愛して止まない人だった。
学はないけど、がむしゃらに働いて一代で会社をたてて自慢の祖父だった。
しかし、私が小学三年生の頃、肺がんで寝たきりになってから祖父は痴呆になってしまった。
大好きだった祖父の面影は無く、惨めで怖くてそんな祖父を見るのが嫌でだんだんお見舞いにも行かなくなった。
その時には私の名前さえ忘れていたのだから・・・
そんなある日、祖父が危篤との連絡があり祖父の下に一族が集まった。
でも皆現実を受け入れたくなくてテレビを見たり、悲壮な感じはなかった。
私も雑誌を見て母の誕生日プレゼントを吟味していた。
その結果淡水パールのネックレスが良いという結論に達し、喜んでもらおうと祖父の枕元にいる母に報告した。
するともう何も分からないはずの祖父が
「亜紀、いくらいるんだい?お母さんに贈ってやりなさい」
それが祖父の最後の言葉だった・・・
すがり付いて泣く母等を私は呆然と眺めていた。
涙も出なかった・・
何でもっとお見舞いに行かなかったの、どうして一瞬でも鬱陶しいと思ったのだろうと今でも後悔しています。
皆さん大切な人が生きている間に精一杯想いを伝えてあげて下さい。
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