幼児のころから、母には虐待されて育った。
子供らしい些細なまちがいをしただけで、一晩中、執拗に殴られた。
髪を掴まれ逆さに水風呂に突っ込まれて、呼吸が止まったこともある。
立てた襟に首をひそめて、絞められた痣を隠しながら学校へ通った。
ようやく18歳になり、私は待ちかねたように家を出た。
何年か経ち、母が倒れたと病院から電話があった。
深夜病院に着いたのは、緊急手術が終わったあとだった。
倒れたときの意識状態が悪く、おそらくは・・・と言葉を濁して執刀医が去ったあと、私はICUの前で立ち尽くしながら夜を明かした。
朝になり、体がもたないよ、と知人がマクドナルドを買ってきてくれた。
私は礼を言って受け取り、病院の待合室で食べることにした。
ああこんな味なのか、と思いながら、少し苦笑した。
いい年をして、そういうものを食べたのは初めてだったからだ。
なぜだろう・・・と考えて、稲妻のように思い出が駆けめぐった。
服は全部、型紙から起こした母の手縫いだった。
子供には少しでも安全な食べ物を、とずいぶんな手間をかけて、母は無農薬の野菜や無添加の食べ物だけを買い集めていた。
おやつはいつも手作りで、出来合いのものを食べさせられたことは一度もなかった。
ファストフードを食べない習慣が、いつか私にも受け継がれていた。
少し性格が弱く、生真面目なだけがとりえの母が、完璧な母親らしくあろうとして追い詰められていた苦しみを、理解してあげられなかった。
母は母なりの地獄を抱えながら、精一杯愛そうとしてくれていたんだ。
外来患者がざわざわと行き来する待合室の長椅子で、声が漏れないようマクドナルドの紙袋をきつく顔に押し当てながら、私は黙って泣いた。
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