うちの父は田舎の人で亭主関白で、私たち子供が朝にトーストを食べていても、必ず朝はご飯と味噌汁がないと文句を言う人だった。
誕生日に花を買うくらい母とは仲がよかったけれど、一度だけ母が朝寝坊したのを「朝ごはん作ってくれなかった」とよく冗談めかして言っていた。
そんな父だけど料理はよく作ってくれた。
笹切りにしたジャガイモを炒めて塩コショウで味付けしたのとか、とり肉を同じように調理したのとか。単純だけど、おいしかった。
それから、夜飲んでいる父のつまみは毎晩毎晩決まって湯豆腐。
豆腐とキノコとちくわとねぎが具で、刻んだねぎやミョウガを薬味にしょうゆをつけて食べていた。一年中、毎晩毎晩。
私もたまに付き合って食べたけれど、正直、よく飽きないものだと思っていた。
また、父は昔魚屋にいたとかで、魚をさばくのはいつも父の役目だった。
去年の年末、母に「多分家族そろうのは今回が最後だから」と言われ、父のリクエスト通り、築地で刺身と(名前は忘れたけれど)2㎏くらいの魚を買って、実家へ帰郷した。
父は嬉しそうに魚をさばき、「命がなくっちゃ、こんなおいしいものは食べられないよな」と夕飯の席で何度も言っていた。
年末か正月かにやっていた、癌で死んだ有名人の特集を自分で選んで観ながら、「これは俺と同じ治療法だ」とか「この薬は……」なんて私たちに自慢めいて話していたのもこの時だった。
最後に記憶に残っている父の食事風景は病院のベッド。
ナースステーションの前の個室で、母も私も弟も床に布団をひいて泊まりこんでいた。
食欲もなくなって二日ほど点滴だけで過ごしていた時、突然、「かりんとうが食べたい」と言った。すぐに売店で買って食べさせると「おいしい」と子供のように笑ってくり返した。
バナナも食べたいと言ってニコニコしながら食べた。
そしてまた容態が悪くなって、しばらく点滴だけになって、今度は「アイスが食べたい」と言い出した。
前の年に祖母が死んだ時も直前に「アイスが食べたい」と言っていたので、私は多分もうダメなんだとこの時に思った。
父の最期の食事は「たまごかけごはん」白いご飯に生卵をかけて、しょうゆをたらしただけのもの。
私が作って食べさせると「味が薄い」と文句を言った。
「お父さんはしょっぱいのが好きだから」と母がしょうゆをたっぷりにして食べさせると「おいしい。おいしい」といって平らげた。
母の言った通り、今年の正月に父はいない。
けれど私の父は世界で一番素晴らしい人だった。
病気のことも全て知っていて、治療法も自分で決めた。
最期には自分や母の兄弟に後を頼むと挨拶をして。
主治医にも看護婦さんにもお世話になったと手を合わせた。
私と弟にはお母さんと頼むと言った。
財産はなかった代わり、遺言に「家族仲良く」と何度もくり返した。
父は53才でなくなったけれど、どうしていい人ほど、要領の悪い人ほど早く亡くなるのかと思う。
今でも、そんな不条理が悔しい。
それと最後に。両親が健在の人は、今のうちに親孝行してあげて下さいね。
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