悟られない人がいる。
いつも穏やかに微笑んで、その陰にある気の遠くなるような忍耐を誰にも悟らせない人がいる。
悲しいことも、苦しいことも、痛いことも、自分の胸に収めて、笑顔を絶やさず、泣き言を言わず、頑張っている人がいる。
そんな人を見ると、後ろ姿にお辞儀をしたくなる。友達の見舞いで通った病院に、そんな人がいた。
顔を合わせるといつも、花のつぼみがほころぶようなのんびりした笑顔で会釈してくださった。話したことは結局一度もなかったけれど、友達から後で聞いた。そのひと言を聞いて、たったそのひと言だけで、わかる訳でもないけれど。
元気に働いていたのに、ある日突然倒れたらしい。原因不明の高熱が続いて、ようやく熱が下がった頃には言葉も満足にしゃべれず、身体の自由もきかなくなっていた。
少しずつ、本当に少しずつ、それは進歩しているのかどうかわからないぐらいの、まるで風に雲が流れてゆくぐらいの、ゆっくり、ゆっくりしたスピードで、もう何年もリハビリを続けているそうだ。リハビリをやめると、筋力が徐々に失われてゆき、やがては動けなくなってしまう。
友達も、ほとんど言葉を交わしたことはなかったらしい。
肺に穴が開く病気で入院した友達は、スポーツ選手を続けることを断念せざるを得なかった。その激しい苛立ちから、家族にも当たり散らしていたようだ。人のことを気にかける気持ちには、とてもなれなかっただろう。
ある日、いつものようにリハビリをしているその人に「何でそんなに頑張れるんですか?」と聞いたそうだ。
「生きたいんです。すこしでもながく。」
当たり前のことだなんて言うなよ。回復していく見込みだってほんの数%しかないらしいんだぞ。俺、それ聞いて、それ以上そこにいられんかった。トイレかけこんで泣いたわ。めっちゃ泣いた。なんかな、俺、自分がアホみたいに情けなぁなってな…そう言いながら、泣き出した。
悟られない人がいる。
言葉にしないからじゃなく、誰かの、何かのせいじゃなく、まぎれもない自分の強い意思の力で、人に悟らせない生き方を選んでいる人がいる。強い。そういう人を、強い人というんだろう。
「俺も、あんな風になれるやろか?まだ、なれるやろか?」
泣きながら、彼はそう言った。
悟られない人に、なりたいと思う。悲しいことも、苦しいことも、痛いことも、自分の胸に収めて笑顔を絶やさず、泣き言を言わず。
もしそれでも悟ってくれる人がいたとしたら、その人はきっと、自分にとってかけがえのない大切な人だろう。
「生きたいんです。すこしでもながく。」
そう言ったあの人は、大切な人を守るために、今日も歩いているだろう。
長文でごめんなさい。読んでくださってありがとうございます。
コメントを残す