中学生の時に父を亡くしました。「死」は当時、遠いものだった。
祖父祖母4人とも元気で、「死」に立ち会ったことがなかった。
しかも反抗期で私の世界には私ひとりだと思っていた。
突然の死。今思えば、今でもはっきり目に焼きついているほどに
父は衰弱していっていたのに「死」なんて思うこともなかった。
病魔に冒され、あっけなく死んでしまった。
人は、死ぬんだと思った。
ずっと気丈に過ごしてきた母が母方の祖母が病院に到着したときに抱きついて泣き崩れたことも鮮明に覚えている。
葬儀屋さんに家族写真を渡して葬儀用の写真を作ってもらった時、間違えて祖父の写真で作ってきてしまったとき、母が号泣したこと。
ひと粒の涙も流さなかった祖父が姿を消し、探しに行ったら自室で声を殺して泣いていて、声をかけられなかったこと。
そんな中、まだ現実を受け止められず、寝てばかりいた私。
何日も何日も学校でも家でも涙も流さず寝ていた。でも、ある日寝ていたらテレビから
「◎◎(私の名前)! がんばれ!」という声が聞こえた。
父だと思って飛び起きた。
テレビには武田鉄矢が映っていた。
なにかの宣伝だった。
私は火がついたように泣いた。
やっと、そこでやっと現実に目を向けた。
あれから10年。今は父がいないことが普通になっているけど
ふと、考える。
今、もし父がいたら私はどういう生き方をしているだろうと。
友達の家に行ってお父さんがいたら、不思議な気持ちになる。
父は優しい人だったので、いい記憶しかない。
だからかは知らないが、中年の上司などに怒られるとすごく怖い。
人の死にも敏感になった。友達のお父さんとか亡くなると、
ぜんぜんそのお父さんのことを知らなくても葬式で号泣してしまう。
残された家族の悲しみを思うと、涙が出てしまうのだ。
でもきっと、私よりも、愛する人を失った母、そして息子を失った
祖父母のほうが悲しみは深いと思う。比べるものじゃないけど。
なので、母や祖父母のために私は生きていきます。
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