去年の話です。
僕は母と二人暮らしの母子家庭で、1年半前に母が再婚した。
僕には6つ年上の姉と5つ年下の弟ができた。
その姉弟とはすぐに仲良くなれたのですが、父親の前では縮こまって怯えてる様でした。
それから3ヶ月くらいして僕と母さんが買い物から帰ると玄関の扉の手前で父親の怒号が聞こえました。
急いで中に入ると父親が姉弟に暴力を奮ってました。
すかさず僕が止めに入り母さんも加勢して落ち着かせました。
理由をきいても父親は黙秘を貫き、数週間が過ぎたある日、また、同じことがありました。
今回は、弟を庇っていた姉が灰皿で顔中殴られ、頭から出血してました。
これは流石に通報し、父親は逮捕され、離婚しました。
ここで事実上縁が切れた姉弟と僕らでしたが、姉は成人とはいえ外傷や精神的な障害で社会での自立が不可能な状態で、保護者が必要な状態でした。
中2の弟もまた保護者が姉しかおらず、その姉もまた保護者が必要な状態だった。
このまま僕らと生活することができないか裁判でも申し立てたが、法律的には認められないと言われ、3週間後には姉と弟は施設に入れられることになってしまいました。
一緒に生活できる最後の3週間なのに、父親が居ない時だけ見れた姉弟の笑顔すら消えてしまってました
最後の3週間が始まって4日目に僕は車で自宅から1時間位の所にある北海道の支笏湖に有休を取り、姉弟を連れて行きました。
そこは、晴れてれば景色が綺麗で、【笑顔取り戻すにはここしかない】と思った所でした(他にも良い絶景スポットはあるのでしょうが、僕はそこが1番好きでした)
案の定晴れていて、絶景を見せて、姉弟に切り出しました。
『慎(弟の呼び名)、お姉ちゃん、俺、家族になれてすげぇ嬉しかったんだ…毎日毎日仕事仕事で疲れてつまらんかった。でもそんな時に二人が家族になって三人で笑顔になれて、毎日仕事が終わるのが楽しみになったんだ。でもあれから笑顔見れてへん…最後の2週間ちょい…またあの笑顔見せてくれへんかな…』
そう言うと姉弟が泣き出し、弟が『俺もお兄ちゃんが出来て嬉しかった…でももう離れ離れ…せっかく家族になってもまたなくなる…』
と言って号泣しました。
僕は『何がなくなるんや!戸籍から外れても俺らは家族や。施設にいってもなんも変わらん。どこにおっても兄弟や。慎は俺の弟、恵美は俺のお姉ちゃんや。いっぺん繋がった心はそう簡単には切れん!そうやろ』
と言うと、姉が『でも…でも…』と号泣してます
すかさず僕は『施設行ったって会いに行く。そりゃ制限はあるがあのボンクラ共(施設職員や役所の担当者のこと)だって人間や!どこにおっても俺らは家族や兄弟や。やからそんな顔しないで、笑顔見せてや…楽しく生きようや!慎も20(歳)になったらお姉ちゃんば連れて俺んとこ来てや…また一緒に暮らそう!あと6年たら長いけど、会いに行くから、いつだって傍にいるから…一緒に頑張ろう』
そう言って、しばらく3人で抱き合って泣きました。
泣き止むと、やっと少し笑顔を取り戻しました。
それから12日が経過したある日、仕事から帰ると、『お兄ちゃん!』『JJ!(僕の仮名)』と叫んで姉弟が抱きついて来た。
母さんもやって来て、事情を説明してくれました。
姉弟を養子にしたのです…
母さんの友達がこの方法を紹介してくれたのです。
役所では『諦めるしかない』の一点張りだったのに…(ある意味流石腐れ役所…(怒))
こうして、今は4人で幸せに暮らしています
家族って良いものですね…
『JJ(年齢20歳・♂)』さんからの投稿です。
ありがとうございます。
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