フェルナンデス製、E・ヴァンヘイレンモデル
当時、国産で初めてフロイドローズのチューニングロックのついたギター。
価格は17万円。
当時田舎の中学生だった俺は、それを手に東京へ出るのが夢だった。
だが、そのギターはあまりに高価だったし、バスで一時間以上かかる街の楽器屋へ行ったところで、田舎の楽器屋ではその現物さえも拝むことはできなかった。
友達が雑誌の通信販売で買ったチャチなストラトをみんなで見に行って、自分は部屋で、鏡の前で部活のテニスのラケットを抱えてポーズを取って、ロッキンFのインタビューを受けている所を妄想しているような、そんなもどかしい田舎の中学生だった。
そんな俺を両親は「ただの熱病みたいなもの」と、相手にしなかったし、婆ちゃんもまたそうだと思っていた。
ある日漁協の慰安旅行で、東京まで行った婆ちゃんから、解散場所まで俺に迎えに来いと電話があった。
荷物が重たくてしょうがないのだと。
俺が行くと、婆ちゃんはニコリともしないいつものおっかない顔のまま立っていた。
そばに、大きな四角い平べったい箱があり、婆ちゃんは俺に、開けてみろと言った。
エレキギターのハードケースを見たことのなかった俺は、それがそうだと知らずに、開けてみて、体が震えた。
婆ちゃんは俺の欲しかった奴を知っていたわけでなく、偶然そうだっただけなのだが、雑誌の写真でしか見たことのなかった黒いボディに縦横無尽に走る黄色のストライプ。
俺はその場で泣いた。
すぐ近所に同級生の女の子の家がやってる店があったのだが、我慢できなくて泣きながら、その心地よいハードケースの重みを感じながら婆ちゃんと帰った。
俺は東京へ出た。
名目は大学に行くため、本当はミュージシャンになるため。
婆ちゃんに買ってもらったギターも勿論持って行った。
しかし東京は、各地から凄腕が集まっているからケタ違いにレベルが高く、俺は早々と挫折してしまった。
あれからもう十五年以上経って、その間に婆ちゃんも死んだ。
この間、婆ちゃんの部屋で婆ちゃんの小遣い帖を見つけた。
几帳面な婆ちゃんの字を懐かしんでパラパラめくっていたら、
「○○にエレキギター:東京イシバシ楽器店17万5千円也(所持金足りず最寄りの銀行にて降ろす)」
と書いてあるのを見つけ、涙が出てきた。
簡単に挫折して、卒業したらさっさと帰って来た俺を婆ちゃんはどう思ったんだろう。
そう思うと、本当に泣けて来た。
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