二十歳になった時、母と買い物の帰り、駅裏の寂れた焼き鳥屋に入りました。
「二人でこうして飲むなんて初めてね~」
母はほぼ下戸なので、レモンサワー。私はビール。
大学進学の為東京で一人暮らしをしていた私にはそのショボイ焼き鳥屋はあまりに小汚く、貧乏臭い店に見えました。
何を話したかはあまり覚えていません。
東京の話や、大学の話なんかつれづれに語って、私は杯を煽り、母はただニコニコしていました。
後日家族団欒の折、何かの拍子で「私達もいい店見つけたよねー。また行こうね」と母がはしゃいで私に言いました。
私はあんな小汚い店、と内心思いましたが、笑って同意しました。
その半年後に母が骨癌で倒れました。
ずっと前から知らされていたのですが、それまでの母があまりに元気だったので、「このままずっと母はいる」と無条件に信じていたんでしょうね。
衝撃でした。
私は単位的にも卒業は危ぶまれていたので、そのまま休学届を出して、(妹と交代で)24時間体勢で病院に泊まり込み、母を看病しました。
モルヒネで意識がすっかり飛んでしまった母は、天井に向かって「田中さん、どこ行くの?」といった幻影を見るようになりました。
そのうち、そばについている私のことがわからずに、「うちの娘ね、いい娘なのよ」と私の自慢をはじめました。
涙が出ました。
父には愛人がおり、妹はプチ家出の繰り返し。
食道楽の父のおかげで、外食というと高級とされている店にしか行かなかった母が、あんな小汚くてマズイ焼き鳥屋に「また行こうね」と言った意味。
お母さん、今になって思うよ。もう一度行きたいよ、あの焼き鳥屋。
来年母の7回忌です。
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