幼少の頃の記憶を辿ってみて、そこに母親が登場する事は一度しか無い。
祖母の家と叔母の家に、盥回しで預かって貰っていたのだから当然かな?
当時は親戚からのお古の服が、着られればどんな状態でも良いと言って貰ってくるのか、サイズも合ってなければ、中には穴がが開いている物まで、酷い場合はスカートが入っていたりする。
決して不潔にしているわけでは無いが、そんな風体だから学校等で隣に座る女子は、皆嫌な顔をしていた事を思い出す。
小遣いも無いから、友達とお菓子屋にだって行く事も出来ない。
低学年の時に、どうししても欲しかった仮面ライダーの変身ベルトを万引きして,これでもかってぐらい怒られた 「 欲しい物は働いて買え!! 」と泣きながら私の頭を叩き続けた知らないおばさん。
この時から、小学生でも出来る銭稼ぎにせいを出すようになる。
ビンを回収し、酒屋に売る。
ビール5円・コーラ10円・スクリューボトル30円
くず鉄を集めて業者に売る。線路脇の敷地で野菜を作って売る。
高校生になる頃には,割り箸を中国から輸入して、飲食店に売るまでになる。(これは結構儲かった)
今があるのは、当時の環境があったからだと思う。
この時の精神があったからこそ、今でも進化し続ける自分が出来上がった。
最近縁を取り戻した母の元に、フィアンセがケーキを持って行こうと言ってくれた。
手作りのショートケーキだ。
それも愛情たっぷりなやつ
時間をかけて丁寧に、沢山の苺や果物をトッッピングしてくれた。
まだまだ、ギクシャクした関係ではあるが、フィアンセの応援もあって大分良い状態になって来たと思う。
母の日、多少なりとも孝行をしたい。
何故なら、あの幼少の日、私の頭を叩いてくれた人が母だったのだから。
長文駄文で申し訳ありませんでした。
ポンさん(男性)よりの投稿です。
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