俺が高3の時親父が他界した。癌だった。
年明けから具合が悪いと言っていたのが、5月に癌だと分かった。発見は早期だったが、すでに転移していて手術は出来ず、余命3ヶ月と医者に言われた。
入院の日、俺は親父と電車で病院に向かった。人の多い地下鉄の中、親父は荷物の上に力無く座り込んでいた。病院からの帰り俺は悔しくて泣いた。
夏休みに入り兄弟3人で交代で見舞いに行った。1番の父親っ子だった妹は親父の病気を受け入れたくないのか病院には行きたがらなかった。朝から夕方まで病院で親父の傍にいた。肩を叩いたり、背中を摩ったり、少しずつ細く小さくなって行く体…小1で母ちゃんが死んでから、一人で頑張ってきた。50過ぎてから深夜のバイトもした。俺には馬鹿みたいに厳しかった。取っ組み合いなんかしょっちゅう。でもそんな親父の面影は全然なかった。
9月、親父が家に帰りたいと言った。『生き様を見せたい。最後は家で死にたい』って…家に戻ってからは毎日沢山の人が見舞いに来た。人望の厚い人だったから。親父のお世話になった人が見舞いに来た時、俺を横に座らせ親父がその人に『こいつの事宜しくお願いします』って頭下げた親父に俺は「何だよそれっ」て笑ってた。
それから間もなく急変して、ちょうど一日後に息を引き取った。最後の最後まで意識はないのに、皆の呼ぶ声に片手を大きく持ち上げ答えていた。
大好きな親父へ
死ぬ間際まで大学の心配してたよな。推薦で決まったって嘘付いてたけど俺就職決めてたんだ。姉ちゃんには夢あるし、妹は不器用な人間だから高卒にはさせたくなかった。大学は絶対行けって言ってた親父だけど、許してくれるかな?
全然親孝行出来ずにごめん。息子の自慢させてやれなくてごめん。まじで後悔しか残ってないよ…
でも俺は親父と母ちゃんの子供で良かった。二人とも馬鹿みたいに早い人生を駆け抜けて逝っちゃったけど、俺は幸せだったよ。俺らは少し休憩しながら何十年か後にそっちに行くから、その時はまた皆でドアの取れたワゴン車で出掛けよう。チャリで保育園の帰りに歌った『乾杯』歌おう。いっぱい笑って、また皆で暮らそう。
生まれてきてくれてありがとう。最後まで抗って、生き続けてくれてありがとう。俺を選んでくれてありがとう。
大好きな親父へ
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