少しだけ場所を借りたいと思う。
親父が死んだとき21だった。
体調の不良を訴え入院した頃、俺は仕事もせずにふらふらしてた。
携帯に親戚からの一報が入って来た時、兄貴に連れられるようにして病院に行った。
心配は心配だったがそんなに深刻に捕らえてなかった自分が悔しい。
俺らが帰った後、崩れるようにベッドから起き上がれないくらい苦しんでいたのを、転院の間際、同室の人が教えてくれた時には愕然とした。
良くはならなかった。
母親を病院まで送り迎えをしたりしながらだったが、
それでも信じられなかった俺は、やっぱり仕事もせずに結構好きなことしてた。
頑丈だった。気丈だった。
訪れる見舞い客はもちろん、家族にも何も言わなかった。辛いとも苦しいとも言わなかった。
だから平気だと思ってたんだ。治るもんだと思ってたんだ。
原因もわからず2度目の転院をした時。くしくも俺の誕生日寸前だった。
その病院で幸か不幸か分からないが原因が判明した。
肺ガンだった。
見つかったときには初期で普通なら手術で切除すれば助かるような規模の悪性腫瘍。
しかし切除も抗がん剤も放射線治療も出来なかった。
悪性腫瘍が巣食った部位。それは心臓と一番近い場所。
ようやくたどり着いた大学病院で下された診断。そのときの余命、半年。対処療法しかで着ない現実。
なにも俺の誕生日に告知すること無いじゃないか。
余命3ヶ月なんて。
自分の横では何を言われたのかを理解した母親が盛大に泣いていた。
何故だか俺はその時、3ヶ月経つと親父誕生日だなってぼんやり思ってた。
病室に戻ることも出来なくて、その日はそのまま帰った。
皮肉だが、親父その時が一番元気そうだった。
行くの辛くて、母親の「連れて行け」の催促に耐えかねては車を出した。病室に入るの辛くて外で待ってた。
あぁ。無茶苦茶後悔してる。今でも後悔してる。
言っときゃよかった。「ありがとう」ってさ。
言えなかったよ。どんな顔すりゃいいのかわかんなかったから。
きっちり余命宣告どおりに親父が逝った後、家ん中荒れた。
「お父さんが死んだのはあんたのせいだ」母親に言われたよ。
今思えば誰かのせいにしなくちゃ、まともじゃいられなかったんだろう。
無理に仕事始めてそれを口実にして家には帰らなくなった。
今でも母親とは気まずい。
だけど言わなきゃな。
言えなかった分言わなくちゃな。
余命
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