大学時代の話。サークルの誰かがゴミ捨て場から鏡を拾ってきた。
幾分大きすぎたので、欠けて歪な形になっていた端の部分を押し割って、部室の二つの窓の間に吊るすことになった。
翌日、部室に入ると同期の男が鏡の前で首を傾げている。
「こんなヒビ、あったっけ?」見ると、赤く錆びたようなヒビが一筋、右下の隅から中央に向かって引かれていた。「割ったときにできたんじゃない?」
初めて鏡を見た私が言うと、裏側には何の傷もなかったにもかかわらず、それで皆、納得してしまった。それが一日目。
翌日は雨。昼下がりの部室にしては珍しく無人。ドアを開けてすぐに、真っ黒い四角が目に飛び込んできた。
それはジジ、ジジ・・・と音を立て、ザワザワと形を変えていた。
締め切った窓と窓の間に密集して蠢いているものは、小さな羽虫の固まりだった。
私は思わず叫んだらしい。有り難いことに、隣のドアから顔を出した数人の知人と一緒に部室に入り、窓を開けて、虫を追い払った。
「うわ!」虫の波を見ても笑っていた一人が声を上げた。「鏡か。びっくりした。人がいるのかと思った」
虫が集っていたのはこれだったのかと改めて鏡を見ると、赤錆びの線が二本引かれていた。
昨日よりも、一本増えていた。それが二日目。
三日目になると、霊感少女の新入生が、鏡の中を横切る女を見たと言い出した。
他に目撃者もいなかったので、「自分じゃねえの。思い込みすぎだよ、それ」で終わったのだが、さすがに「ちょっと気味悪いね」ということにはなって、鏡を誰かが裏返しにした。
部員は多かったので、誰かがその後で元に戻したのかもしれない。
とにかく、次の日には鏡は正面を向いていた。赤い線は三本に増えて、爪を立てて中から傷つけたようにも見えた。
結局その日、鏡を処分する事に決まった。それが最終日。
誰が捨てに行くかで、くじ引きをして、最悪な事に私と霊感少女が当たってしまった。
そもそも拾ってきた人間が捨てるのが筋だと猛抗議したら、誰が拾ってきたのか誰も知らないということが判明して、ますます鬱になった。
結局、女2人に任せるのは気が引けたのか、同期の男が3人加勢してくれて、5人で学校の廃品置場に向かった。
廃品置場は運動場横の並木道の奥にあって、部室からは距離があった。
男3人は2人ずつ交代で鏡を運び、辿り着いた時には夏の日も暮れかけていた。
雑多なゴミ置き場の端に鏡をそっと置いて、その場を離れようとしたときに「ああああ」と、霊感少女が情けない声を出した。
また脅かそうとしてる。「おまえ、いい加減に」言いながら振り向いた同期が、私の足元に尻餅をついた。
驚いて振り返ると、霊感少女が両手を前に突き出して泣いている。
その腰に、白い手が絡みついていた。目にしたのは一瞬だったと思う。
でも、腰を締め上げるように絡みついたその両方の腕に血が流れていたこと、両の手首がパックリ開いていたこと、今でもはっきりと目に浮かぶのだ。
私達は必死になって、霊感少女を引っ張って鏡から出ているらしい腕を引き離し、腰を抜かした同期を引きずって、その場から逃げ延びた。
部室に帰り着いて、全員で泣いた。
今からもう十二年前のことです。
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