昨年ガンが転移しもう手遅れとわかった祖父が今年の1月4日に逝った。
ガンと知るまでは「腰が痛い」と夜中に起きてくる祖父に対し、
辛辣な言葉を投げつけ部屋を移動し受験勉強をしていた。
大学に受かったとき「良かった」と一番喜んでくれたのは祖父だった。
「夏を越せないかもしれない」そう医者に言われていた夏になった。
病院の個室でエアコンもきいているのだが徐々に弱っていく祖父がいた。
俺は体育会の厳しい部活が毎日あり、ほとんど家に帰れなかった。
それでもなんとか秋になり、少し持ち直した。
ガンは神経を侵し、腰の骨を溶かしているという。
痛みを止めるために打つ強いモルヒネ・・・副作用で意識が薄れていた。
緩和ケア病棟というホスピスのようなとこに入り、ただ痛みをとる治療が
始まった。食事もとれず点滴だけの祖父はいつの間にか骨と皮だけになって
いた。「もう死にたい・・・」と看護する母に何度も訴えた。
12月30日、「家に帰りたい」と祖父がつぶやいた。
「医者と相談して帰れるうちに帰ろう」ということになり、たくさんの
モルヒネを渡されて帰宅した。
庭につもった雪を見て「綺麗だ」とつぶやいた祖父。
熱で朦朧としながらも家に集まった親戚一人一人に握手をした。
そして1月4日、祖母との結婚記念日を待つかのようにして朝方静かに
旅立った。傍で寝ていた家族を起こすことなく、痛みがなくなったかのように
安らかな寝顔だった。
祖父からもらったお年玉・・・四万円。葬儀が終わった後、開けてびっくりした。
「お父さん、おじいちゃんがこんなに・・・」
「おじいちゃんがなぁ、『これで最後やし・・・』って言ってなぁ・・・」
・・・涙が止まらなかった。思い出と後悔が湧き出てくる。
俺は祖父に育ててもらったようなものなのに思春期を迎えてからひどいことばっか
祖父にしていた。
「死」を意識しだしてから祖父は何を思ったのだろう。
最後に家に帰宅したとき何を感じたのだろう。
おじいちゃん・・・俺、おじいちゃんみたいに立派になるよ。
葬儀に何百人も来て泣いてくれるような、そんなおじいちゃんを尊敬する。
ごめんな、あんま会いにいけなかってごめんな。夢にでも出てきてくれないかな??
会いたいです。謝りたいです。
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