先日スーパー玉出で買い物をしていて、国産牛のヒウチが半額だったので手に取ろうとしたときのこと。
右腹部がチクッと痛んだので驚いて手を引っ込めたところ、横にいた人に半額の牛肉を取られてしまった。
仕方がないので豚肉を買って帰り、夕飯を食べていたときにふと気付いた。
人生で大病して手遅れになりかけたときや、酷い目に遭うときはいつも牛肉だったな、と。
そして精神を病んでからは不思議と牛肉を食べなくなったな、と。
そこから昔のことをぽつぽつと思い出していった。
子供の頃に島根県松江市に住んでいたことがあって、遊び場の一つに白潟天満宮というところがあった。
そこには当然のように御神牛があり、昔の悪ガキは跨ったりして近所の大人に怒られたものである。
でも俺はビビりだったうえに、姉が霊感バリバリ(俺は零感)だったので、幼心にそういうことはしてはいけないと信じていた。
だから白潟天満宮の御神牛に悪戯したことはない(と思う)し、太宰府天満宮や北野天満宮に何度も足を運んだことはあるが、そんな畏れ多いことはしていないしビビりだから怖くてできない。
そんな俺の幼少期はいつも腹ペコで、白潟天満宮の近くを流れる天神川に誰かが植えたと思われる無花果の木の実や、他人の家の庭に植えてある枇杷の実や茱萸の実やらをとっては、遊び場の一つであったボロボロの木造二階建ての建物で食べたりしていた。
思い出してみると、熟していなかった実や食いかけなどのゴミをそこに捨てていくことが多かったな。
そうこうしているうちに、入り口横にある階段が朽ち果て、二階の床も腐れ落ち始めた頃に、新しく倉庫ができてしまい、遊び場も別の場所に移っていったため、そこに近寄ることはなくなった。
今思えば好き嫌いがなかったはずの俺だが、この頃から牛のレバーが食べられなくなったな。
妙に鼻につく臭いが気になってしまい、鼻を抓んで口に入れても吐いてしまうくらい。
他の内臓肉は平気だし、ニラも大好きなのにレバニラになるともうダメ。
でもそういうこともあるかなと気にも留めなかったし、これといった不都合はなかったので放っておいた。
その後大人になって焼肉で生レバーを勧められ、最初はレバーはダメと断っていたが、当時は最初に牛タンと生レバーが定番だったので一切れだけ口にしたところ、とても美味しいことを知った。
それでも焼いたレバーは相変わらずダメだったので、その日は生レバーばかり食べていたな。
そして案の定集団食中毒に罹り、一時は手遅れかと言われるほどに大変な目に遭った。
あれから20年以上経過したが、いまは傍目にもわかるぐらい肝臓が肥大している。
以前摘出した右腹部の腫瘍は良性だったし、新しくできている腫瘍もたぶん良性だろう。
姉や両親に確認したが、前述の木造二階建ては牛の屠○場だったそうだ。
大阪天満宮からの帰り道に寄った天神橋筋のスーパー玉出での出来事もただの偶然だと思っている。
近くの扇町公園や天六あたりをうろついても何も感じないから。
でもちょっとだけもやもやするので、気休めに大阪天満宮の御神牛を撫でてこようと思います。
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