平成10年、8月末の出来事
北関東北部山沿いの我が街を未曽有の豪雨が襲った時の話です。
当時、消防団員だった私は独居老人の避難の手伝いや、決壊の恐れのある河川に土嚢を積んだり、なにがなにやらの事態に混乱していました。
街は私の腰から胸くらいの高さにまで水没し、交通機関はマヒ、電気も止まり土砂降りの雨音だけが響いていました。
そんな中、自分の持っていた無線に
「団員の食料の支給があるので、各詰所(消防車両車庫兼団員寄合い所)に1名待機」
の指示が入り、私が詰所に向かいました。
懐中電灯1つを持って待っているとゴムボートに乗った消防職員が現れ、人数分の食料と飲み物を届けてくれました。
敬礼して見送り、ふと車庫の方を振り返ると、暗闇に物影を感じ、懐中電灯で照らすと15~6歳位の少年がたっていました。
水色のTシャツはずぶ濡れで、私は
「どうしたんだ?寒くないか?」
と声をかけました。
少年は小声でなにかつぶやきましたが、雨音で聞き取れません。
「まぁ、電気つかないけど、二階に上がって、お腹減ってない?」
矢次早にそう言いながら階段を照らしました。
するとその少年は私のそばに寄り
「じぃちゃんとばぁちゃんが・・・」
と話し始めました。
その少年は両親を亡くして、祖父母と暮らしているそうで、その安否を心配していたのでした。
少年の家は同じ市内でも山間部で、別の消防団の管轄区域です。
私が持っている無線は受令機、つまり交信はできません。
しかし、詰所には緊急連絡システムの無線があり、上長の許可を取ればロックを解除して使用することができます。
許可を取っている場合じゃないと判断し、消防本部へ繋いで少年の家の周辺の状況を問い合わせました。
しかし、残念ながらその地域への道路が崩落し、現在復旧のめどが立たないとの返事
当然、少年の祖父母の安否も不明とのこと。
すると少年が
「坂の手前の石垣沿いの旧道は崩れてない。歩きでも15分で行ける」
と言うのです。
その旨を本部へ伝えると5分ほどのち
「進入路確保、これより小隊2個隊○○地区へ出場します」
と受令機から聞こえたきた。
階段の手すりに引っかかっていたオレンジ色のタオルを少年の頭にかぶせクシャクシャっとふき取りながら
「もう安心だぞ」
と言うと
「ばぁちゃん、足が悪いから公民館まで逃げてないんだ」
と少年はうつむいた。
私は
「〇〇地区市道沿い公民館北側500メートル老夫婦、安否確認お願いします。なお、おばぁちゃん、足が悪いとのこと」
と本部へ伝えました。
「あとは、消防のオジサン達に任せて、2階でこれ、一緒に食べよ」
そう声をかけましたが、少年はうつむいたままその場を動こうとしませんでした。
(優しい子なんだなぁ きっと、祖父母が大好きなんだなぁ)
などと思いながら、その場で少年と各現場のやり取りが流れる受令機に耳を傾けることにしました。
1時間くらいたったころ
「お疲れ~、腹減ったぁ」
私と同じ消防の団員のうち3名が詰所に戻ってきました。
その時受令機が
「△消防団××、○○地区区民全員安全確保、公民館への避難終了。的確な情報感謝します。」
と広報し私は
「よっしゃぁー!」
と拳を突き上げ少年のほうをむきました。
私「アレッ?」
他団員「なに?あれっ?」
私は階段に寄り
「お~い!」
「シーーーン」
他団員「どした?誰か来てんの?」
少年の姿がありません。
他団員「あーっ!この、新しいの、なんとかシステム、お前使ったの?」「これ、まだ試験運用だから使うなって・・・」
私は、1人詰所に戻ってから起きたことを皆に話しました。
「捜索かけとくか」先輩団員がなんとかシステムで本部に連絡し少年の捜索指令を出してもらいました。
いつの間にか雨は小康状態となっていました。私は再び近くの川へ土嚢積みに向かいました。
翌朝、街の水位も下がり始めたころ、徹夜の作業から解放され詰所に戻って食事を取っていると本部の職員が来ました。
そして私が呼ばれこう説明を受けました
・昨夜の老夫婦は二人暮らし
・孫が夏休みで約一か月一緒に暮らしたが、1週間前に帰京
・帰京した翌日、交通事故で他界
・老夫婦宅は昨夜裏山が崩落し全壊
え~っ!っと私は昨日少年が立っていた階段の方を振り返りました。
すると階段に、キチンと折りたたんだオレンジ色のタオルがフンワリとおいてありました。
実際に起こったことです。
捜索には警察も出動していますので、あとで、調書作成に協力させられました。
–END–
『ふぁるこん(年齢?歳・♂)』さんからの投稿です。
ありがとうございます。
泣ける