俺がアメリカで知り合った中国人の話なんだが、チョウさんってのが居た。
俺が19歳の時に、2ヶ月間の語学留学でLAに行ってて、現地の大学のESLに通うようになったところ、日本人は俺ともう一人だけで、他はほとんど中国人。
レベルが下から3のクラスだったから、正直英語ほぼ無理状態だった。
でも、俺はどうにか英語を頑張ろうと、他国の人間と積極的に話しを試みたところ、チョウさんというおじさんと仲良くなったんだ。
チョウさんはいつもニコニコしてるおじさんで、あまり英語が得意じゃないらしく、俺や周りがメキメキと力をつけるなか、ただただニコニコ笑いながら聞いてた。
でも、ランチの時や放課後は積極的に話しかけてきてくれて、車を持ってないでメトロバスを利用してた俺を、
「夕方は危険だから」
と片言の英語でいつも乗せてくれた。
ランチなどはほぼチョウさんが出してくれてた。
それから俺が滞在してた2ヶ月の間、めちゃめちゃ良くしてくれた。
朝は流石に迎えに来る事はないけど、夕方の送りや、ランチへの招待、そしてたまに休日にアウトレットモールに車で連れて行ってくれ、靴を買ってくれた。
断ったんだが、ニコニコしながら、
「お前学生、俺社長だから金ある」
などと英語で言いながら買ってくれた。
2ヶ月が経ち、俺は日本に帰ることになった。
チョウさんは、ESLで英語を学びながら仕事をこっちで展開してるとの事で、
「もし、中国に来た時は連絡しなさい」
と、メールアドレスと中国での会社の名刺と、自宅の電話番号を教えてくれた。
俺も
「日本に来たら連絡頂戴」
と教えた。
それから約1年半後。
『中国に戻った』というチョウさんからのメールを受け取った俺は、『じゃぁ、遊びに行くよ』と返信した。
俺は夏に中国へと向かった。
そして、空港について直ぐにチョウさんの携帯に電話をした。
すると、英語が堪能な中国人の声が帰ってきた。
「チョウさん、英語凄く上手くなったね」
と言うと、今度は日本語で
「そんなことないよ、日本語の方が得意なんですから」
と返ってきて、
「日本語話せるの?」
と驚いた。
どうやら本当は日本語話せたが、俺が一生懸命英語で話してたので、英語で対応してたらしい。
それからチョウさんが迎えに来てくれて、チョウさん所有のホテルへと向かった。
それはユースホテルぐらいを想像してたけど、かなりの大きさだった。
そして約1週間、チョウさんは本当に良くしてくれた。
マカオセンターなどにも連れて行ってくれたし、昼はブラブラしてて、チョウさんの仕事終わりにご飯に連れて行ってもらって、ホテルは無料で使わせてくれた。
ただ、4日目に少し反日感情がある青年3人にイチャモンを付けられた。
昼間ブラブラしてると、いきなりツバをふきかけてきた。
汚いなぁ、と思いつつも無視しようとすると、肩を掴んできて、中国語でベラベラと何か言われたが、さっぱり分からずにいると、無理やり手を絞り上げられて、財布からお金を取られた。
そして、何を言う間もなく殴られて、何故か英語で
「ジャップ」
と罵って逃げていった。
その日の夕方、それを聞いたチョウさんは、色々な人に連絡を取った。
俺は警察に行こうかと思っただけで恐怖で行けず、直ぐにホテルに戻ってた。
チョウさんは少し怒りながら、
「大丈夫、すぐにお金戻ってくるよ。それまで、これで我慢してね」
とお金を渡してきた。
断ると
「お小遣い」
と言い、
「断るのは失礼だぞ」
とお金を握らせてきた。
俺はありがたく受け取り、帰りの日まではチョウさんの知り合いの女性と一緒に、昼は過ごすようになった。
そして帰る日の昼頃、洒落にならない事が起きた。
犯人のうちの1人?と言う、顔面が潰れたかのようにグチャグチャな男が、泣きながらお金を返しに来た。
チョウさんの友人だと言う人に連れられて謝ってきた。
俺は何が起こってるのか分からないので、
「いいよ許すよ」
とだけしか言えなかったのだが、チョウさんは怒った声でフタコトミコトいうと、その青年は泣き叫んだ。
そして無理やり立たされて連れて行かれた。
後ろ手に縛られた彼の左手首は寸断されていた。
俺は最後の最後に、より大きな恐怖を味わってしまった。
チョウさんはニコニコしながら、
「残りの二人はもう居ないよ。彼ら罪人、悪い事したから。警察に行くよりもこっちのほうが対処が早いから」
と言う。
初めてそういう人だったんだと気付いて帰国した。
それからも連絡は取ってるし、良い人なのは分かってるけど、恐怖は常にある。
中国人は身内に優しく他人にキツイって意味が少し分かった出来事だった。
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