帰省したついでに、祖母にコトリバコ的な呪わしい因習話が無いかと聞いたら、残念ながら無かったんだけど、伯父さんがそれ系の話を知ってたので書きます。
つっても、友達が犠牲になったとか、お寺で怒られながら御祓い受けたとか、そういう直接的なものは無い。
昔そういう奇習があったとさ、って話なので、洒落にならんほど怖いかと言うと、首を傾げざるを得ない話なんだけど、スレ的には興味深いかな、と思う。
1980年代、伯父さんが都内の某大学生の時、某地方の文化調査で、教授のフィールドワークに助手、というか荷役人夫として同行したそうな。
で、ある村落というか集落に、猿の神様を祀る家があったらしい。
『えんべさん』だか『えーベさん』だか。
取材相手が文字で書かれたのを見た事が無いため、正式な発音や綴りは不詳。
とりあえず、『えんべさん』という事にする。
この『えんべさん』の御神体は、何年かに一度、新しく作り変えられる。
その法則も不詳。
御神体の作成には、まず甘酒を用意する。
酒といっても、おかゆみたいな米の形が残っている、デロデロの流体。
ご飯を水に入れて、そこに酒種を加えてかき混ぜて、埃よけに蓋して、そのまま常温で放置という、大変にアバウトな作り方。
叔父さんも飲ませてもらったそうだけど、ぬるい甘さと仄かな酸っぱさに、米粒のニチョっとした食感が何とも言えず微妙な一品で、貴重な体験ありがとうございましたって味だった模様。
ちなみに、この甘酒用の米には、専用の田圃があったのだとか。
甘酒が出来たら、桶に入れて山中に放置する。
すると、猿が来てこれを飲む。
いい加減、酔っ払った頃を見計らって飛びかかり、フラフラの猿を捕まえる。
この時、お面を被って決して猿に顔を見られないようにする。(以後、猿に接する時は必ずお面を被る)
捕まえた猿は竹篭に入れ、半月ほど甘酒だけで飼って潔斎(?)させる。
餌付けもされていない野生の猿だから、始めの内は見向きもしないけど、その内に空腹に負けて口をつけるらしい。
潔斎が済んだら、竹篭の周りに犬を繋いで吠え掛からせ、猿をビビらせるだけビビらせたところで、竹篭ごと俵に入れて土に埋める。
そして一年経ったら、骨を掘り出して洗って祀る。
この時は素顔で行う。
自作自演で
「助けてやったんだから恩を返せよ」
という筋書きらしい。
そして古い方の骨は山に帰す。
具体的には不詳。
これで不思議と、農作物が鳥獣害から守られる。
特に秘事って訳でもなかったらしく、集落の他の家の人も普通に知っていて、取材相手の証言の限りでは、差別なんかも無かったらしい。
あるいは、他家もご利益に預かっていて、他の集落には秘密とかだったのかもしれない。
太平洋戦争でその家の長男が出征して亡くなったあたりで、御利益が無いと思ったのか、時代にそぐわないと思ったのか、この奇習は行われなくなった。
(と聞かされた由)
その『えんべさん』を祀っていた家はまだ続いていて、直接取材も試みたけど、80年代にもなると流石に外聞の良い話じゃないので、丁重に断られたそうな。
それで叔父さんは、こういう奇祭が昭和の中頃近くまであった事実に感慨ひとしおで、その村落を後にした。
大学に戻ると、叔父さんは教授から以下の仮説を聞かされた。
『えんべさん』の名前は、初めは猿から『えん』の発音が来ているのかと思われたが、『えいベさん』呼称も考えると、恵比寿様を『えベっさん』という言い方がある事から考え、こっちの方が由来に近いように思われる。
で、恵比寿は夷(異邦人)だから、本来は猿じゃなく旅人を使ってたんじゃないか、と。
山に帰されたという骨を調べれば、何か分かったかもしれないが、それは『えんべさん』の家が協力してくれない以上、調べようが無い。
教授の説の真偽は不明だけど、
「あるいは、世が世なら生きて帰れなかったところかも知れない」
と、叔父さんは笑ってました。
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