仮称Aってダチがいた。
小学校の頃はよく遊んでた。
良いやつだった。
何歳の頃だったかもおぼえてないけど、誕生日会に呼ばれた。
リビングにとおされると部屋の中が暗かった。
Aがなきそうな顔だった気がする。
Aのお母さんがでてきてカーテンを開けた。
すると、一部だけぬれた布団がベランダで干されていた。
Aは母親の袖をひいて泣き喚いていたが、当の母親はにたにたと笑っていた。
Aがおねしょをするたびにどれだけ大変か、その誕生日会はAの母親の自慢話大会となった。
その翌日から、Aはオネションというあだ名をつけられた。
またある時、遊びにいくと、Aの母親が突然部屋にどなりこんできた。
その手には、殆ど○がついた答案用紙がある。
俺なんて半分は×だったから、どなられるくらいはなれっこだが、Aは俺の目の前で往復ビンタをされた。
Aの母親はやはりにたにたと笑っていた。
「B君はこんなささいな間違いしないわよね」
俺は首を横にふった。
丁度その日に小テストがあったので、その答案用紙の惨憺たる有様を見せた。
「おかあさんはどういう教育をなさってるのかしら」
勝ち誇ったような笑みだった。
Aはよく体育を休んだ。
喘息の俺が最後尾を走ってる姿すら、うらやましそうに見ていたところをよく見かけた。
Aは頭が良いやつだった。
良い点をとるとにっこり笑っていたが、だんだんそれもなくなってきた。
誰かへのあてつけのように白紙の答案用紙を提出して、校長室に呼び出されることも増えてきた。
中学二年くらいになると、Aにとって友達といえるんは俺だけになった。
Aは夏場でもよく長袖を着ていた。
俺はAに何がおこってるか気付いていた。
校長室に度々足を運んで、Aを助けてくれと教師達に懇願した。
ある日、Aの母親が学校にどなりこんできた。
俺のクラスまでやってくると、いきなり首をしめられた。
嘘つきと連呼されながら気が遠くなっていった。
問題にはならなかった。
その日を境に、Aは俺にも声をかけなくなった。
俺からは挨拶をしていたのだが、返事もしなくなった。
学校にはAの母親がたびたびくるようになった。
俺は途中まではがんばって戦った。
だがA自身が虐待がないと証言した。
俺こそが嘘つきであるといったのだ。
Aが起こした事件がテレビをにぎわせたころ、テレビの中でAの母親がこう答えていた。
「しかるべき罰をうけるべき」
俺はその場で気を失うほど怒り狂った。
迷わずテレビ局に電話をかけて、Aの弁護士の連絡先を教えてもらい、俺はA側の証人として立つことを決めた。
現役を退いた昔の校長先生などもきていた。
Aの父親すらAのために証言台にたった。
Aへ加えられていた虐待の内容が、法廷ですべて明らかになっていった。
唯一無二といえる友達とも絶縁せざるをえなくなった。
Aの悲しいこども時代が皮肉にもAを救った。
恒常的な性的暴行。
公衆の面前で我が子を辱めることも多々。
常に完全であることを要求し、できないと暴行を加えることも多々。
Aの住まう家は地上にあらわれた地獄だった。
それをおこなっていた悪魔は、一体何をかんがえていたんだろう。
Aの母親の罪状は明らかになった。
Aの母親は、表向き被害者へ詫びるとして自殺した。
しかしその実態は、自らの時効を迎えた犯罪暦が、公判記録として公のものとなったからに違いない。
病院に収容されて数年、あいつは病室のベッドからろくにおりもしないでいる。
筋肉が衰えて、もはや立つこともできないらしい。がりがりひょろひょろの体だ。
極稀に正気に見えるときがある。
そのときは決まって自傷行為をはじめる。
「おんなじ!おんなじ!」
加害者になってしまった自分が許せないという意味だと思う。
被害者のご遺族からの手紙に、許すという言葉があることを何度教えてやっても、Aはけして喜ばない。
生きている限り、彼は償わなくてよくなった罪を償い続けるのだろう。
地獄の家は崩壊したが、地獄は彼の心の中にある。
投稿者さんは、頑張った❗️
彼の闇が消える様に願います。